テーマは!「赤ちゃんの成長ってきっとこんな感じだよね!」
これは私の独断と偏見。特に、2歳の娘を絶賛子育て中の私には、どうもそっちの方へイメージが引っ張られていった結果のテーマです・笑
それでは早速、歌詞の意味をみていきましょう!
”夜のないこの空では 舟もないから泳いでいく”
(いつも明るい僕がいるこの空は退屈で、
舟と呼べるものがないから泳いでいった)
・退屈
⇒後半の歌詞”次の季節がくれば君はゆくんだ僕はまた静けさにね飛び込む”から考えました。君がゆく=いなくなるというのは、君に合う前の状態に戻るということです。
そうして君がいってしまうと、僕はまた静けさへ戻ってしまう。静けさを気に入っているのであれば、そのまま空にいればいいのに、泳いでいった。ということなので、静けさ=退屈にしました。
”漂って出合った君は 何処から来たんだろう”
(ふらふらと泳いで出合った君は、一体どこから来たの?)
・出合う
⇒出逢うではないので、出くわした。というニュアンスで考えています。
”何もない 記憶もない 互いの名前つけよう
あしたにはまた忘れてしまうものだとしても”
(身に着けているものもなければ、記憶もない。
仕方がないから、お互いの名前をつけようか。
明日にはまた忘れてしまうかもしれないけれど)
・”何もない”をなぜ身に着けていないとしたか
⇒イメージを裸にしたのですがこれには理由がいくつかあります。
1.”夜のない~何処から来たんだろう”までが精子と卵子の出合いのようだから。
⇒なぜ精子だと思ったかは泳いでいくから引っ張られています。そして最後の”まるで今日生まれたみたいな気分”に引っ張られて、1人称を精子だとしたら君は卵子としました。
2.”何もない~また忘れてしまうものだとしても””
⇒赤ちゃんは何も持たずに、記憶も持たずに生まれてきます。そして最初に与えられるのは、○○ちゃん、よく生まれてきたね。という名前なんです。母乳よりも先に。(名前を先につけていたらの場合ですが)
3.アダムとイブのイメージ(飛躍的)
⇒ブルーの森という場所を楽園に置き換えました。また、神がアダムへ一つずつ名前を教えたという所からきています。
以上の3点から、二人は生まれたばかりの、というイメージが出来上がり、アダムとイブが裸だったこともあり、イメージがそうなりました。
・”あしたにはまた忘れてしまう”のはなぜか
⇒上のようなイメージから、生まれたばかりの赤ちゃんだと考えると、明日にはまた忘れてしまうとしても自然だと思います。
”はじめての会話 言葉の意味など
知らないで過ごしてきた 今日まで”
(はじめて君と会話できるようになって、今日気づいてしまったんだ、言葉には意味があるってことを。だってそれまでは言葉なんて、ただ発する音でしかなかったんだから)
・この節の全体像
⇒中身は赤ちゃんという設定でここまできました。そしてはじめて会話ができるようになった。つまり中身が2歳くらいになったということです・笑
そんなイメージで上の節を要約しています。
”僕ら今ここに並んでいるね それは確かな二人の世界”
(僕らはブルーの森という狭間の不確かな世界にいるけれど、今こうして並んでいるのは確かな二人の世界だよ)
・確かな世界
⇒わざわざ言うってことは、本当はここは不確かな世界なんじゃないかと思いました。
そうすると、生まれ落ちる、空と現世の間の世界。つまりは狭間の不確かな世界が、ブルーの森ではないかと考えるに至りました。
”君が今まで見てきたってものを
僕に話してきかせてよ 君の中で旅をするよ”
(君が今まで見てきたものを僕に話して聞かせてよ。僕は現世へ行きたくないんだ。それに、君が話してくれたら、君の見たものを一緒に体験できる)
・記憶ないんじゃなかった!?
⇒ここでは思い出したという解釈にしました。都合がいいですよね。
しかし、記憶というのは、自分のことよりも、誰かと、の方が印象深くありませんか?(恋愛・切磋琢磨・死別)
僕は相手もいない空に一人でいたので、記憶は不必要なものとして失われていった。しかし、会話をしていくうちに、僕も君も色々と思い出してきた。
記憶って相手に伝えるためにあるんだね。
・”君が今まで見てきたってもの”
⇒君が漂っている間に見たもの。現世へ何度も転生した時に見たもの。としています。
・”君の中で旅をするよ”
⇒ここはちょっと膨らまして、僕は現世へ行きたくないこともあって、話をきかせて、というニュアンスにしました。
なぜ現世へ行きたくないとしたかは、次の歌詞で、君がいってしまうのに、僕は色々言い訳を考えて、行こうとしないからです。
”次の季節がくれば君はゆくんだ
僕はまた静けさにね 飛び込む”
(次の機会が訪れたら君は現世へいってしまう。
僕はまた退屈な日々に逆戻りだ)
”この体に羽があるのならば…
歩いてゆける足があれば…
何かに乗ってゆける機会があれば…
今度ばかりは考えてみた”
(これがあれば、あれがあればって、言い訳を色々考えて、今度ばかりは僕も現世へ行こうかと考えた)
・”今度ばかりは考えてみた”について
⇒今度ばかりは、ということは以前も、現世へ行こうとしたことがあった。けどれ、行かなかった。そう考えると、僕は、こうして出合って記憶を取り戻し、別れて静けさに戻り、また記憶を失っていく、ということを繰り返しているということが分かります。(最後のround and round=堂々巡りにもつながる)
”どこまでも続くブルーの森で
涙のようなもの溢れた
la-la-la……
これが哀しいってことかな”
(どこまでも続く狭間の世界で涙のようなもの溢れた。
これが哀しいってことなのかな?)
・この節の全体像
⇒この節の素晴らしい所は、la-la-la……を入れた箇所です。
ここに入れなければいけない意味がちゃんとあります。このシーンを一つのアニメーションとしてイメージしていただけると分かりやすいかと思います。
涙のようなもの溢れた(あれ?という僕の表情)la-la-la……(初めて哀しさに気づき眉間にぎゅっとしわを寄せて涙を流している表情)これが哀しいってことかな(嗚咽を上げながら哀しさを噛み締める表情)
初めて哀しさに気づき、この何とも言えない気持ちを、本当に何とも言えないので「間」を使うことにした。アニメーションであれば、表情で伝わるし、小説であれば、…を使える。でも音楽だとそれ以外で表現するしかない、ということで用いられたのがla-la-la……。素晴らしいですね。
”僕ら今ここに並んでいるね
それは確かな二人の世界”
(僕ら今ここに並んでいるね。
これは確かな二人の世界だよ)
・この節の全体像
⇒1番のサビと同じ歌詞ですが、込める気持ちはもっと大きくなっています。
なぜなら、哀しさに気づいたから。それは、裏を返せば愛しさに気がついたということ。
”まるで今日生まれたみたいな気分
夢を渡す火が灯るよう
世界の果てに思いめぐる……
round and round”
(愛しさに気が付いた僕は、まるで今日生まれたような気分だよ。一つの夢が連なる提灯をいくつも灯していくように、世界の果てまで、この愛よ、めぐれ!さぁ、踊ろう!踊ろう!!)
この部分は難解でした。飛躍的なイメージになりますがご容赦ください。
最後の節は、愛しさに気づいた僕の心情と行動を表しているのではないかと思いました。
まるで今日生まれたみたいな気分なのは、愛しさに気が付いたから。
それは夢を渡す火が灯るような感じ。ここのイメージは渡し船と夏祭りの時に並ぶ提灯にしました。
理由は、1番で”舟もないから”と言っていたので、最後に舟が出来上がって、旅立つというのもありかという思いで、渡し船。
夏祭りの提灯というのは、火が灯って、世界の果てまで、(思い)めぐる、というので、一つの灯が、暗かった提灯に次々と点灯していくイメージを持ちました。
GARNETCROWには「祭りの時間」という曲もありますので、そう遠くはないかと思ったり、思わなかったり..
続いての「夢」は装飾的なもので、美しいものが、次々に点灯していくというイメージかと。あるいは、僕が、君に夢を託したというニュアンスもあるかもしれません。
しかし、それよりも大事なことは、(世界のはてに)思い(めぐる)=愛 だということ。愛に気づいた僕が、世界の全てを愛おしく感じた瞬間を、世界のはてに思いめぐる、と表しているのではないかと私は思いました。
そして最後を、踊れ!踊れ!!にしたのは、回っているのが自分だから。愛に気づいた僕は、手を広げて、くるくる回っているのではないかと思ったからです。
以上!最後までご覧くださりありがとうございました!
ここってどういうこと?という疑問がございましたら、お問い合わせ、あるいは、ツイッターのメッセージ(@sarubianohako)にぜひご連絡ください!!