【小説】水色のエンジェルナンバー

【小説】水色のエンジェルナンバー

第7章 ー孤独ー /あの夏のシンデレラ


(一)

私は人目も気にせずわんわん泣いて、どこまでもどこまでも歩いていった。

本当は走ってこの悲しみを振り切りたいのに、その足がないのもまた悲しみを助長させる。

私のマネージャー人生は終わった。

これからどうしよう。
私は何の為に生きたらいいのだろう。

頭の中は色んなことがグルグル回っていた。

けれど、私の心臓を釘で打つように痛めつけているのは、赤司君にもう会えないことだった。

バスケと好きな人を一度に失くした大失恋。

私は夢遊病のようにさ迷いながら、帝光中学校の水場での出来事を思い出していた。

**********************

帝光中学校のマネージャーになって1週間。

まだまだノロノロで頼まれ事一つ全然上手くできない。

初めてのことで上手くできないにもかかわらず、私は誰かに助けを求められなかった。

バスケができないということがまだ生傷で、
足のことを触れられたらどうしようとビクビクしていたからだ。

桃井さんが心配になって水場まで様子を見にきてくれて、やっと一つ仕事が終わる。

人が恐くて誰ともつながりを持たなかった私。
影を落とした振舞いをしていた私。
そんな私には友達なんていなかった。

それなのに、赤司君は私を見つけてくれたのだ。

もこもこの白い雲と深い青空が印象的なあの日。

ボトル洗いをするのに先の細いブラシが上手く使えず、
私はこの日も悪戦苦闘していた。

道具を使うのがどうも苦手で素手でやりたいくらい。

夏の陽射しがおてんばすぎて、私は額の汗を拭う。

生ぬるい水がせめて冷たい水なら気持ち良くできるのにと思っていたその時、まるで春風のような心地よい声が聞こえてくる。

「いつも水場でのお仕事ありがとう」

最初は私に話しかけているとは思わなくて、反応が遅れてしまった。

どこかで聞いたことのある声。

水場にいるのは私だけ…だよね?
私に話しかけているの?

そう思って顔を上げてみると、時が止まった。

細められた瞳が私を見つめていて、
弓張月のような口元が上品に微笑んでいる。

夏疾風までもが爽やかに赤司君の髪を揺らしていた。

十全十美な王子様に目を奪われた私は赤面してしまう。

洗濯を言いつけられたシンデレラが、

パーティーで出会うはずだった王子様と水場で出会ってしまったら、きっと同じ思いをしただろう。

汗でぐしょぐしょ。
髪はボサボサ。
こんなのが初対面だなんて…穴があったら入りたい。

そんな刹那から我に返ると、
身の置き所のない思いで火山が大爆発。

私は真っ赤になりながら、急いで汗を拭いて髪を整える。

赤司君の輝きは、
私の影なんて一瞬で吹き飛ばした。

沸騰しそうな熱さを感じながらも、
第一印象を挽回するように私はにこっと笑う。

「ありがとうございます!!」

陰で見ているだけでよかった。
役に立てていればよかった。

目立たないように。
存在を消すように。
水場での仕事ばかりしていた…

それなのに、どうして私を見つけてくれたのか。

生きる意味がなかった私に、
マネージャーというきっかけをくれた人。
同じポジションでバスケをしていた憧れだった人。

そんな人からふいに声をかけられてしまい、そのあとの言葉が続かない。

「神崎は不思議な人だ。君の笑顔はなんだか懐かしい気がする」

その声と言葉で世界が変わった。

サーッとそよ風が吹いて、セミの鳴き声が遠のいていく。

この世界は二人のためにあるように、
暖かくて優しい光が降りそそいでいるようだった。

ハッと我に返りその言葉を反芻して私の体温は急上昇。

とても立ってはいられない程にクラクラしてしまう。

沸き立つ頭で私も何か答えなきゃいけないと思うが、出てきた言葉は悲惨なものだった。

「あ…あの!マネージャーの仕事は全然まだまだですけど、めいいっぱい笑顔頑張ります!!」

と、意味わかんないことを言ってしまった私に赤司君は言葉をかけてくれる。

「これからも期待しているよ」

赤司君が颯爽と立ち去った後も、
その声の優しさと穏やかさは余韻を残して私を包んでいた。

赤司君は不思議な人。
心で思っていることが、そのまま声に現れるような人だった。

きっと、赤司君の中にはいろんな色が溢れているのだろう。

私はあの言葉が頭から離れなくて、
赤司君の前では絶対に笑顔でいようと決意した。

それはマネージャーになってから、初めて誉められた最初の言葉でもあった。

それからすぐに赤司君は変わってしまったけれど、
私はずっと忘れなかった。

赤司君があの時言ってくれた言葉を今でもずっと覚えている。
あれから2年も経ってしまったけれど、ずっとずっと覚えている。

(二)

気づけば人のいない方へ、人のいない方へ歩いて行き、河原の土手に着いてしまった。

日は暮れて夕焼けの時刻になっている。
夏真っ盛りの生暖かい風が通り過ぎた。

これで、良かったんだ…と思う。

私の第二の人生はきっとこの為にあったんだ、と自分を納得させる。

野崎君を助ける為に、私はマネージャーをやってきた…

夕日が目に染みる。
私の顔も夕焼けと同じ茜色のおそろい。

ふと、私はあの懐かしい歌を震える声で口ずさんでいた。

夕焼け小焼けで日がくれて

山のお寺の鐘がなる

おててつないで…

そこまで歌うと涙が溢れた。
嗚咽が止まらなくなりしゃがみこんでしまう。

夕焼けが近づいてきたら郷愁に駆られて、みんなはそれぞれの場所に帰るんだ。

みんなはちゃんと帰る場所がある。
迷うことなく帰ることができる。

けど…私にはもう帰る場所がないのだ。

唇を噛み締めて嗚咽を飲み込む。
黄金色に照らされた野の草は、私をあやすように揺れていた。

夕焼け小焼けで日が暮れたら、私もおててつないでみんなと帰りたかった。
赤司君と一緒に帰りたかった。

今さらそんな歌を歌っても、どこにも私の帰れる場所なんてない。

胸の中に納まっていたはずの色が溢れ、心がついに張り裂けた。

そのまま地面を片手で叩く。
揺れていた野の草は私の手で潰されていく。

こんな手こんな手いらない!

マネージャーができない手なんて、手なんて!!
あったってしょうがない!!

目に映って苦しい…
こんな手なんかない方がマシだった。

私の両腕なんて、
あの足と同時に持って行ってくれれば良かったのに。

草は手折れ泥だらけになるのも、手が切れるのも気にならずに私は地面を叩き続けた。

ともちんの言うとおり、
私は赤司君を追いかけてこんな京都の高校まで来てしまった。

半々なんかじゃ全然なくって、
いつの間にかマネージャーをやりたいが、赤司君の傍にいたいになっていた。

もっと言えば、他の誰かじゃない。

赤司君のマネージャーになりたかった。

私も桃井さんのようになって…赤司君から頼られたかった。

地面を叩いていた醜い手がダランと垂れる。
自分の醜態さに吐き気がした。

何を想っていたのだろう。
これは天罰だって納得がいく。

バスケに関わりたいという純真な思いとは裏腹の不純な想い。
赤司君目当てに入ってきたマネージャーと何が違うのだろう。

自分の思い上がり具合に気持ち悪くなる。

まだ残る黄昏色に染まる野の草を一方で強く握り締め、
もう一方の手で地面を叩き続けた。

本当はずっと辛かった。
変わってしまった赤司君の元でマネージャーをすることが、とっても辛かった。

叶わぬ夢をいつまでも見ているよう。
最後まで最後まで辛かった。

もし、赤司君がむかしの赤司君に戻っていたら違ったのかな。

優しかった赤司君を思い出したら喉がきゅっとなる。

こんなことにはならなかったのかな。
まだマネージャーを続けられていたのかな。
赤司君の傍にもいられたのかな。
あの言葉も覚えていてくれたのかな。

両膝が力なく地面につき、スカートが汚れる。

そのまま夕空を仰いで泣いた。

赤司君を支えたかった。
笑顔でいると約束してずっと笑顔でいた。

本当はそれがいつか赤司君を変えてくれるのではないかと思っていた。

変えられると夢を見た。
思い上がりな夢をずっと見ていた。

壊れた両手で揺れている野の草を握り締める。
私は這いつくばって大地に向かって大声で泣いた。

私は赤司君が大好きだった。
大好きだった。
大好きだった。

あの頃の赤司君が大好きだった。
ずっと追いかけていた。

ずっと追いかけて…追いかけて…その手は届かなかった。

塞き止められていた想いが溢れて自分では止められなくなる。

私の中に潜んでいた不純な想いは大地が受け止めてくれた。
河原の水面は最後の夕日を受けてきらきらと輝く。

夕焼け小焼けは私を帰らせることはできなかった。
かわりに夜の帳が優しく私を包んでくれる。

大地は慈しむように私を受け入れ、
まだ残る赤司君への想いは重さとなり、私の体は地面に沈み込んでいった。