【小説】水色のエンジェルナンバー

【小説】水色のエンジェルナンバー

2章 ー疑心ー /ともちんと私


(一)

「とーもーちーーーん!もう聞いて!!」

毎度毎度、元気なことだ。
私にはそんな元気はない。

朝から息を弾ませて、ゆうの髪は肩のあたりで揺れている。

「どうしたー、ゆう」

欠伸をしながら聞く。
朝は苦手なんだ。

朝練もしているので体力はそっちに持っていかれてる。

ゆうは鞄も下ろさず、
前の空いている席にドカッと座って騒いでいた。

私はそれを働かない頭でぼんやりと聞く。

「マネージャー業が全然上手くいかない!!」

整えられた前髪に内巻きのショートボブ。
くりっとした瞳が可愛いらしい。
まさにマネージャーという感じの女の子。

自分も朝練があるのに身だしなみには余念がない。

「男バスはやけに退部が多いからなぁ。マネージャーもしかり。そんなかでのマネージャーの仕事は大変だろうねぇ」

働かない頭は当たり障りのないことしか言わない。
自分で考えるのも面倒だったので単刀直入に聞いてみた。

「男バスはどうしてあんなに退部が多いんだ?」

ゆうの表情が硬くなる。
こいつはすぐに思っていることが顔に出るんだよな。
ほら、今度は笑ってる。
よくもまぁ表情がくるくる変わるもんだ。

「やっぱり強豪校だからかなぁ!」

ははは!と笑うが何かを隠しているような感じだ。
ゆうの本心はいつも深い底にあって、ここまで出てこないのだろう。

わかりやすい表情のあとに出てくる言葉は、いつも一致しない。

「ともちん、髪の毛切っちゃったんだね」

私の思考はさらに続く。
こいつはいつも、聞いて!と言ってくるのに自分のことは話さない。

それがわかっているから、私も聞かない。
本当に聞いてほしい時は、きっと自分から話すだろう。

「あぁ、バスケをやるのに邪魔だからな。結ぶのも面倒だし」
「ともちんと初めて会った時は肩より長かったよね。今はショートでかっこいい!」
「そういうお前はずっと変わらないのか?その髪型」

そう聞いた時またゆうの表情が曇った。
本当に顔に表れやすいよなぁ。
ゆうは困ったことを隠すように笑顔で答える。

「あ、いや、私もともちんくらい短い時もあったかなぁ」

嘘か本当かわからないが、正直に感じたことを私は言った。

「ふーん、あんま想像できないな。ゆうが髪の毛短いって」

(二)

ゆうを初めて見たのは、
洛山高校の女子バスケット部見学の時だった。

先輩たちのプレイを見ようと多くの見学者がいる中で、私は一人の女の子に目を奪われた。

私もかなりバスケをしてきたが、
そいつもまた同じような空気を纏っている。
その姿は獅子を彷彿とさせ、
私とは違う凜とした佇まいに武者震いをおこすようだった。

これはかなりデキるプレイヤーだと直感する。

その子は先輩たちがバスケをしている姿を一目見るなり帰ってしまった。

まるで私の敵ではないかのように。

一掻きされそうな恐ろしさと期待が入り混じる中で、これは面白い高校生活になりそうだと高揚したのを覚えている。

しかし、女子バスケット部の練習が始まってみてもその子の姿はなかった。

あれ程の力を持ちながら、
バスケをやらないだなんて信じられない。

それとも他のスポーツに転向してしまったのだろうか。

私は昼休みにまだ名前も知らない女の子を探し始めた。

どうしてバスケをやらないのだろうか。
なぜバスケを続けなかったのだろうか。

昼休みのざわつく廊下を早歩きで考える。

なぜバスケをやらないのか?
たったその一言が聞きたいが為にらしくないことをしていた。

つながりたいと思って自ら探すなんて。

人間関係において自分から動かない私が初めて、
その子に会いたいという衝動に突き動かされてクラス中を回った。

しかし、その子はどこにもいなかった。

女バスの見学会にいた子って知らない?
と他のクラスのバスケ部に尋ねてもわからないという返答しかない。

もしかしたら、私はまばろしでも見ていたのかもしれない。
たしかにその子は先輩たちを一目見るなり帰ってしまった。

何かの見間違いだったのか…
今日のところはあきらめて教室に戻ることにした。

教室の扉を開いた時、
私は自分のクラスを初めて外から見た。

するとあの時と同じショートボブの子がいる。

しかしその子を見ても何も感じない。
おそらくたまたま同じ髪型なだけで違う人なのだろう。
校内には200人近く1年生がいる。

私は何の期待もしていなかったが一応その子に声をかけた。

「お話中にごめんなさい。この間の女子バスケット部の見学会に参加されていましたか?」

絶対にこの子ではなかった。

むしろこれで参加していましたなんて…
そんなのがっかりだ。

「はい、いましたけど…」

私は言葉を失ってしまう。

信じられない。
これが同一人物だなんて狐につままれたようだった。

しかし、そんなこと失礼すぎて本人には言えるわけもない。

「私はともこです。これから一緒にご飯を食べてもいいですか?」

引き攣った笑顔でそう言うのが精一杯だった。

「もちろんぜひ!!私は神埼ゆうです!」

こうして私はゆうの屈託のない笑顔でグループに迎え入れられた。

その笑顔はまるで獅子を飼っている兎のようで、
ある意味恐ろしさを覚えた。

(三)

「…ともちん…おーい!ともちんってば!」

私はその声にハッと我に返る。
すっかり自分の世界に入ってしまっていた。

「ごめん。ちょっと別のことを考えてた」
「もう、ともちんってば!すごいんだって!!今度うちのバスケ部が月刊アリウープに載るんだよ!」

私は吹き出しそうになるのを堪えて話す。
なんだその雑誌の名前は。

「へーえ、やっぱ凄いんだなうちの男子バスケット部は」

ゆうは嬉しそうに月刊アリウープを見せてくれたが、私は笑いを堪えきれずに大爆笑してしまった。

なんだよ月刊アリウープって…
と目じりに涙を浮かばせていると、ゆうの弁解は激しかった。

「な、なにって!アリウープは味方から空中でパスをもらってそのままゴールを決めちゃうキセキみたいなシュートだよ!!
し、しかも!!ゴールボードに当てて一人でアリウープしちゃうこともあるんだから!!」

顔を赤くして身振り手振りで一生懸命アリウープを説明するゆうに獅子の陰なんて微塵も見えない。

出会った時のことを思い返して、
ほんとにお前はマネージャー気質だよなと感じる。

「私もバスケやっているから知って…」

ゆうは興奮して私の言葉を聞いちゃいない。

ほんとにバスケのことになると、
プレイヤーの私より熱くなることがよくある。

「ともちん疑ってるなー!!女子は難しいかもしれないけど、男子バスケットだとほんとにあるんだからね!

ほらキセキの世代ってともちんなら聞いたことあるでしょ!!」

あ…私は一瞬の表情の変化を見逃さなかった。

さっきまでノリノリだったゆうが急に冷めた。
他の話題を探している。そんな感じだ。

「あぁ、そんなこと言われてた人たちがいたねぇ」

なぜかゆうはバスケの話になると急ブレーキが掛かることがよくある。

理由はわからないし聞く気もなかった。

まだ出会って1ヶ月も経っていないのに、踏み込むつもりはない。

ゆうは、みんなが登校してくる時間だからまたね。
と言って自分の席へ戻った。

***********************

授業の始まる鐘が鳴るもあまり身が入らない。
私の思考は授業そっちのけで辺りを彷徨いだす。

ゆうはなぜ男子バスケットボール部のマネージャーになったんだろうか。

最初にゆうを見た時は絶対にプレイヤーだと思ったが、今となってはマネージャーの方がしっくりくる。

女子部か男子部か…
それはどちらでも良かったのだろうか。

ゆうなら女子部でもやっていけそうだが、
男子部を選んだとなると…

誰か気になる人がいるとか?
校内中の騒ぎになっている赤司は…
たしか男子バスケットボール部だったよな。

まぁ、それどころではないくらい部活は忙しそうだが。

そんなことをぼんやりと考えていたら、あっという間に昼休みになった。

***********************

みんなでご飯を食べ他愛もない話をする。
昼休みはいつもそんなもんだ。

私は率先して話しをするタイプではないので、いつも皆の話しを聞いている。

今日のお題は好きな人についてのようだ。

身近な自分たちのことだから、
芸能やファッションの話なんかより盛り上がる。

高校生になって恋の一つでもしなければ、
青春を無駄にしているかのように皆は必死そうだった。

話の流れで私も好きな人について聞かれたが、
そんな人はいない。バスケが恋人みたいなもんだ。

そして、ついにゆうにもその時がくる。

「私もともちんと同じで好きな人はいないなー」

と言うと、マネージャーのくせに!と皆から反感を買っていた。

「赤司君と同じ部活なんてずるいぞー!!というか、赤司君はみんなの王子様的存在だから、誰も手は出せないよねー」

「そうそう。手を出せる女子はほんとに可愛かったり綺麗な子だけだったりするよねー」

赤司熱も冷めてきたのだろう。
12時の魔法が解けてみんな現実的な恋に戻る。

ゆうは好きな人がいれば顔に出るかと思ったが、
それらしい反応はなかった。

気がつくとそろそろ授業が始まる時間だったので、
本日のお題はこれにて終了となった。

(四)

「ともこ、お疲れ。今日もよく動けてたよ。今年は優秀な1年生が揃っているから心強いな。期待してるからね」

心強い…か。
部員を頼もしく思うことは悪いことではないが…

女子バスケット部は全国大会の常連校にもかかわらず、いつも優勝を逃している。
それは案外こういう小さな所にあるのかもしれないなと私は思う。

「はい、先輩。期待に応えられるように頑張ります」

そう言って私は先輩に挨拶をして荷物をまとめる。

「あれ、今日は自主練して行かないの?」
「今日は用事があるので先に帰らせていただきます」

先輩と簡単な挨拶を交わして体育館を後にする。

女子バスケット部の練習は18時までだ。
基本的にはどの部活も18時までだが、生徒の自主性を重んじる特色で校舎は21時まで開いている。

男子バスケット部は、全国大会連覇を狙って学校が特別注力している部活なので19時までの練習が課されていた。

そうした部活は様々な面で優遇されることもあるが、応えなければならない期待も大きい。

男子バスケット部の退部者が多いのは、ゆうが言っているように強豪校だからという理由はたしかにある。
自然と練習は厳しいものになるだろう。

しかし、それを考慮しても退部者が多い違和感は拭えない。
マネージャーがそんなに辞めてしまうのもおかしい。

ゆうに聞くのは気乗りがしない為、
私は直接男子バスケットボール部の練習を見に行くことにしたのだ。

男子と女子が練習をする体育館はそれ程離れていない。

程なくして着くと、
意外にも体育館の周りには誰もいなかった。

赤司君見たさの大勢の女子に紛れ込もうと思っていたが、
その当ては外れてしまう。

そういえば男子バスケットボール部の見学は、禁止になったんだっけ。ゆうが言っていたのを思い出す。

あまりに女子の見学が多くて、それを制止するのがマネージャーの仕事で一番大変なんだと嘆いていた。

困ったなぁ…
どうしたもんかと思ったがちょっと見るだけなら問題ないだろう。

ようは静かにしていればいいのだ。
それに最悪はゆうを呼んでもらえばいい。

完璧な言い訳を考えて体育館を覗くとその練習量に驚愕した。

すでに練習離脱者が数名いる。
その部員にボトルを渡したり、テーピングを巻いたり、ゆうは忙しそうだった。

一体どんなメニューをすればこんなに…

視線をコートに移すと、
どうやら5 VS 5をやっているようで掛け声が聞こえてくる。

「そこ!パス回せ!!」
「野崎!動きがにぶってるぞ!!」

キュッキュッというバッシュ特有の音が普通より大きい。
それは練習量の激しさを意味していた。

「てめッ、なにしてんだ!ちんたらドリブルすんなッ!!」
「すっ、すいません!」
「おい、1軍。20点差つけられなければもう1セットだ」
「はい!!」

全国大会の常連校で、さらに二連覇を目指すのであれば、練習はこれくらいハードになるのだろう。

女子バスケットボール部のことを考えると、身が引き締まる思いだった。

ただ、なんとなく部員を追い詰めているのはその練習量だけではなく、他に何かある気がした。
部活の雰囲気はまるで何かに怯えるような…

急に体育館から音が消えた。

部員が見ている方向に私も目を向ける。
その先にいたのはあの有名な赤司様だった。

体育館の音が全てそいつに吸収されたかのように静まりかえっている。

「村井、お前はバスケをなめているのか」

静かな体育館にクリアな声が響く。

問いかけは意味をなさず、
誰も発言を許されていない絶対的支配。

気になっていた雰囲気はこれだと確信した。

「そこで膝をついている者達もこのぐらいの練習量についてこられなければ辞めたほうがいい」

時間の無駄だ。と言い切った冷たい言葉は、疲労した体と心に最後の一撃を放っただろう。

ゆうは俯きながら部員のケアをしていた。

「村井の代わりに葉山、はいれ。もう一度最初からだ」

最初から…
という言葉にみんなの息を呑む声が聞こえてくるようだった。

開始の合図をされてようやく体育館に音が戻る。

ふと、何気なく床を見ると濡れていた。
あれでは滑って危ない。
マネージャーはすぐにモップがけを行わなければならないが、ゆうにはそんな余裕はなさそうだった。

部員の人数と練習量に対してマネージャーが少なすぎる。

調子が悪い部員がいれば、テーピングやアイシングなどでケアをしなければならない。
これだけの練習量であればボトルの交換も頻繁に行う。
体育館から水場までは決して近いわけではなく、何十往復もしなければならないだろう。

10人いたマネージャが今は1人しかいないと言っていたが、とても1人でできる量じゃない。

「おい!床が濡れてんだろ!マネージャーさっさとふけ!!」

強い口調で言われても、ゆうは明るい声で返事をしていた。

部員のケアもままならずに、
ゆうは小走りでモップを取りに行く。

ゆうも疲れているのか、上手く走れないようだった。

そんなゆうを見て、
きっと何か大切なものが、男子バスケットボール部にあることを感じる。

それは、私がゆうを諦めた瞬間だった。

何があったのかはわからないけれど、
ゆうはマネージャーとして一生懸命やっている。

好きな人がいない、と言ったのはやはり本当だ。
私と同じできっとバスケが恋人みたいなもんだろう。

本当は一緒にバスケがしたかった。
ゆうがバスケをしている姿が見たかった。

でも、ゆうが一生懸命に部員をサポートしている姿は、
私が諦めるのに十分だった。

ゆうにエールを送り、
明日の自分に気合を入れつつ私は家路についた。