【小説】水色のエンジェルナンバー

【小説】水色のエンジェルナンバー

3章 ー祈りの加護ー /あの日の出来事


(一)

GW明けの今日は酷いもので、部活に集まった人数はとても少なかった。

私が入部した時は50名前後いた部員が、あっという間に10名くらいなっている。

休み明けで気が抜けてしまったのかもしれない。
きっと遅れてくるのだろう…そう思いたい。

だが、練習が始まって1時間が経っても、その人数が変わることはなかった。

そして、部活後の風景も変わっていた。

今ではもう横たわっているヤワな部員なんていない。
モップがけの仕事はめっきり減った。

あんなに忙しかったボトルの補給も減る。
部員が減れば当然、飲む量も減るからだ。

アイシングを準備したり、
テーピングを巻いたりすることもなくなった。

仕事が減ってくにつれて、
私の存在感もどんどん薄くなってる気がする。

いつもより早く仕事が終わり、信じられない量の退部届けが入ったクリアファイルを持って、私は赤司君の所へ向かった。

言おう。
今ここで言わないと。
きっと取り返しのつかないことになる。

これ以上部員が減っては部の存続の危機でもある。

赤司君は一体何を考えているのだろうか…

一番恐いのは赤司君が何を考えているのか、分からないことだった。

夜の校舎なんてものともせず、スタスタ歩いてあっという間に扉の前に着く。

意気込みは十分ばっちり。
深呼吸だけして私は扉をノックした。

「どうぞ」

私は意を決する思いで扉を開けて中に入る。

「失礼します。本日の退部届けを持ってきました」

つかつかと歩いて赤司君にクリアファイルを渡す。

「ようやく精査されたようだ」

その声は薄ら笑いを浮かべているようだった。
いつもならここで何も言えずに、視線を落としていたが今日は違う。

やっぱりこんなの間違ってる。
バスケをやめた方がいいとか…そんなの絶対に間違ってる。

「あの!どうしてそんなに部員を減らしていくのでしょうか!?

これ以上部員が減っては部の存続にも影響します!みんなバスケを頑張っていました。それなのに…それなのに…」

どうしてやめさせるようなことを、
とは最後まで言うことができなかった。

赤司君は呆れたように答える。

「頑張っているからなんだというんだ。勝つ為に必要なことは強いことだ。使えるやつは使う。使えないやつは必要ない。

それから部の心配をしているようだが見当違いだ。これ以上部員は減らない」

こんな赤司君知らない。
私が知っている赤司君じゃない。
私は心の中で祈るように自分を守っていた。

赤司君は優しくてとっても仲間思いで…
本当にあなたは誰なの?

「他に何か言いたいことがあるのかな?」

切れ長の目が鋭く冷たくなる。

反論を許さない絶対的なプレッシャーが、私の肌をじりじりと焦がす。

「いえ、何も知らずに失礼いたしました。部の為に最善を尽くします!」

そう言って私は笑う。

赤司君の前では笑っていようと決めたのだ。
それがどんな時でも。

「最善を尽くすとは己の能力の範囲内でやること。それを超えて行う事など愚考に過ぎない。

才能がないことを自覚し余計なことはするな。練習後の邪魔だ」

淡々と放たれた赤司君の言葉は、
私のバリアをいとも簡単に粉々にした。

何か言わなければならないのに、
口からはひゅうひゅうと空気しか出てこない。

赤司君がこちらに歩み寄ってきて、
先程とは打って変わった優しい声でささやく。

「お前の仕事は練習までだ。その中で最善を尽くせ」

私の肩に手を添えると、扉の方へ向けさせる。

そのまま何かに操れているかのように、
私の体は扉の前まで動き部屋を後にした。

途中でトイレに入り、鏡を見ると大変酷い顔をしている。

目は充血し腫れぼったい。
鼻も真っ赤になっている。

本当は今すぐにでも体育館へ鞄を取りに行って帰りたいが、こんな姿を誰かに見られるのは嫌だった。

私は便座に腰を下ろし天井を向いて目を閉じる。

頭に浮かんでくるのはさっきのことだった。

赤司君、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
やっぱり原因はあの時にある気がする。

幾度となく答えの出ないあの日のことを、きっと私は永遠に考え続けるのだろう。

(二)

赤司君は日本屈指の名家で、赤司家といえば誰もが彼のことを知っていた。

家族はお父さんと赤司君のみ。
天賦の才能に恵まれ、何をやらせても何でもできてしまう。
それは人智を超えた次元の違う優秀さだった。

成績はいつでもトップ。
部活動でも赤司君に敵う人はいない。

人望の厚さも兼ね備えて、
校内の人気はもちろんナンバーワンだった。

大会連覇の帝光中学校バスケットボール部においても、
周囲への心配りをかかさずに、部員やマネージャーに優しい言葉をかけていた。

しかし、中学2年生の夏、突然赤司君は変わってしまう。

その日、部活の空気はいつも以上に深い淀みだった。

前のことはわからないが、
入部当初から重苦しい空気を感じていた。

私は水場で9本目のボトルを洗いながら、
この空気の重さは一体何だろうと考えていた。

その原因はキセキの世代という人たちにある気がする。

キセキの世代とは文字通りキセキのような才能のある人たちの総称らしい。

一人目は青峰君という人で、最近は部活に来ていないらしく私は会ったことがない。
青峰君と仲の良い桃井さんは、この間の大会から様子がおかしいと言っていた。

二人目は緑間君で、いつもよく分からないラッキーアイテムを持っている不思議な人。
人事を尽くすことを掲げていて、最も真面目に練習に励んでいるがイラ立ちを感じる。

三人目が紫原君と四人目が黄瀬君で、
二人とも練習に身が入っていない気がした。

そして、最後の一人が赤司君だ。

この間の大会に出ていたキセキの世代全員がぎくしゃくしているような、まとまりがなくなっているような、そんな感じがした。

ボトルを全て洗い終えたので、
新しいボトルを取りに体育館へ戻る。

すると、うっと顔をしかめたくなる…
淀みが色で見えるのではないかと思う程に空気が悪かった。

「ねえねえ赤ちん、峰ちんってもう練習にこないんでしょうー?だったらオレも練習なんて面倒だからやりたくないんだけどー」

紫原君のいつもの我侭だ。

それは他のキセキの世代に向けられることはあっても、赤司君に向けられることは今までなかった。

それなのにどうして…という嫌な予感があった。

「だめだ。監督がなぜそんなことを青峰に言ったかは分からないが、練習はきちんとやらなければならない」

「えー、それって峰ちんだけズルくなーい?今まで赤ちんに言われてちゃんと練習出てたけどさー、

オレ自分より弱いやつの言うこと聞きたくないんだけど。オレもう赤ちんより強いよ」

それは赤司君に対しての明らかな宣戦布告だった。
チームに亀裂が走る音がする。

「主将がチームで一番強い必要はないが、お前がそれを望むなら応えてやる。紫原、お前にはお灸を据える必要があるようだ」

公式試合でもないのに凄まじい緊張感がほとばしる。

1対1の5点勝負が始まった。

お互いが本気を出して全力を出し合いぶつかる。

誰もが王の圧勝で終わると思っていたが、紫原君は王を押していった。

いつの間にこんな実力をつけたのか…
1点…2点…と紫原くんは王を追い詰めていく。

事の成り行きを見守る部員と桃井さんは、
王が負けるかもしれない、ということに動揺していた。

それぐらい王は完璧で、
負けたことなど生まれて一度もなかった。

その王は負けることが許されない。
どんな小さなことであっても全てに勝たなければならない。
孤独な王だった。

私もみんなと同じように事の成り行きを見守っていたが、
他のマネージャーからボトルを早く持ってくるよう呼ばれてしまう。

そして、体育館へ再び戻る頃には全て終わっていた。

勝敗が気になり桃井さんに聞いてみると、勝者は王だった。

桃井さんが言うには、試合は一方的に赤司君が勝利する形で終わってしまったそう。

コートを見ると紫原君はちゃんと練習に参加している。

赤司君はどこにいるのかと探すと…

変わり果てた雰囲気に、私は背筋がゾッとする。

勝利の代償として温かさは微塵もなく、
戦慄する空気を纏う冷酷な目をした赤司君がそこにいた。

(三)

目を開けると蛍光灯のライトが眩しい。

ずっと座っていたのもあって体も痛い。
硬くなった体をほぐすようにして軽く伸びをする。

タイムスリップをしてしまったような感覚で、さっきのことは今日ではないような気がした。

涙の後もとっくに乾いている。

目と鼻はまだ赤いままだが、腕時計を見ればもう20時半だ。
21時には体育館が閉まってしまう。
私は急ぎ足で向かった。

まだ体育館に明かりが点いていることにほっとする。
ボールの弾む音も聞こえるから、誰かがまだ自主練をしているようだ。

そろり…そろり…
体育館に近づくと誰が中にいるのかが見えた。

うわーっという溜息。
一番会いたくない赤司君が部員の自主練を見ていた。

「誰だそこにいるのは?」

振り返りもせずに声をかけられ、悲鳴を上げそうになる。

咄嗟に両手で口を抑え、
飛び出しそうになる心臓を落ち着かせる。

赤い目と鼻を隠すように俯きながら、私はおずおずと赤司君の前に出た。

「お疲れ様です、マネージャーの神埼です」

練習後の邪魔だ、とさっき言われたばかりなのに、
のこのこ赤司君の前に姿を現すのは恥ずかしかった。

しかしそれ以上に、何を言われるか恐ろしかった。

階段を降りる音がアスファルトの音に変わり、近くまで来ているのがわかる。

「どういう要件でここにいるんだ?」

赤司君の苛立ちが地面を伝って、足先からじわじわと震えがくる。

鞄を忘れてしまったことを言うだけなのに声が出ない。

「よく覚えておけ。僕は無能なマネージャーと話す気はない」

どきりとする。
それって、もしかして…
やめていったマネージャーたちと同じだと思われてる?

それは心外だった。
私のバスケに対する想いはそんなもんじゃない。

「桃井のようなマネージャーなら別だがお前じゃ話しにならないのはわかるだろ?」

赤司君の放った言葉は私の心臓をずぶずぶ刺していく。

どうして…どうして…
桃井さんの名前を…

桃井さんはとても優秀で、赤司君から頼られていた私の憧れのマネージャーだった。

そうはなれなかった自身への嫌悪、悔しさ、羨ましさ、妬み、
嫉妬、ドロドロの感情が胸の中で溢れ、ぐるぐるかき混ぜられ吐きそうになる。

私はぐっと堪えて声を振り絞った。

「桃井さんの話しをなぜ私に?」

赤司君は冷ややかな笑みを浮かべているようだった。

「お前は帝光中学校男子バスケ部のマネージャーだろう」

衝撃が走る。
雷に打たれるとは正にこのことだった。

私のことなんて全く覚えていないと思っていた。
でも…でも…赤司君は私を覚えていてくれた。

「才能がないことを自覚し余計なことは二度とするな。これは命令だ、鞄を持ってすぐに帰れ」

その言葉にビクッと体が震える。

恥ずかしさで体は熱いのに、
情けなさで地面が濡れてしまいそう。

赤司君は全てお見通しだった。
バッと顔を上げて、私は思いっきり笑って挨拶をする。

「遅くまで失礼しました!!」

赤司君の横を通り過ぎて階段を上り、鞄を抱えて体育館を後にした。

悔しいような、泣きたいような、切ないような、
いろんな感情が胸の中でうず巻いて、それを全て吐き出したいと思って走った。

走って…
走って…

すぐに足が動かなくなる。
息は全然あがっていないのに、私はまだ走れるのに、足はもう動かなかった。