第5章 ー変化ー /隠していたこと
(一)
星明かりが綺麗。
秘密のお話しをするにはとっておきの場所。
「まぁ、場所なんてどこでも良かったんだけどさ」
太陽の陽射しはなくなり優しい月明かり。
初夏といっても夜になれば風がとても気持ち良かった。
ともちんは苦笑いで、まさか夜の公園とは。
と言ってブランコに腰を下ろす。
「こういうことしてみたかったんだ!!」
久しぶりのブランコに私はテンションがあがる。
さっきの気持ちはどこへやら。
思いっ切り漕げば、てっぺんまで高くなるのはすぐだった。
私はてっぺんのその先を目指して躍起になって漕ぎ続ける。
もっと高くもっと高く、
もっともっと高く、そこまでいけば話せる気がした。
ともちんは私が話し始めるのをずっと待っててくれている。
これだけ高くなれば、
私の気持ちも空に放り投げるように出てくるはず。
「わたしねー!」
空に向かって私は叫んだ。
きっとこの夜空なら私の気持ちを星にして、ぴかぴか輝かせてくれるよね。
「わたしねー!!」
もう一度、大きくブランコを漕いで叫ぶ。
ねぇ、お星様。
ちゃんと話せるよね。
大丈夫だよね。
「わたしねー!!!」
これが最後だと言わんばかりに、今まで以上に叫んだ。
星に祈りをささげて、どうか私に勇気を。
…けれど、よだかは届かなかった。
そのまま星になれずに落ちていく。
ブランコは慣性の法則に従って、ゆっくりゆっくり速度を落とす。
私は俯いたまま、
揺れるブランコが止まるまで暗示をかけていた。
止まったら…
このブランコが止まったら…
言うから…
ちゃんと…
ちゃんと、言うから…
ごくりと唾をのみこんで一息つく。
もう一度ゆっくり深呼吸をして、ついに私は吐き出す勢いで言った。
「もうバスケできないんだ!!!」
言わなきゃいけない言葉がたくさんあったのに。
出てきた言葉はたったの一言だけだった。
気持ち悪さが内側から溢れる。
自分の言ったことが、
現実を帯びて私に襲いかかってくる。
震え。
薄暗い部屋。
瞳孔。
何も見えない。
色彩。
潰された心。
取り返しがつかない。
「知ってる」
その一言に、私は目を見開く。
ともちんは悲しそうな顔をしていた。
「女バスの見学会の時ゆうがいた。ゆうは絶対バスケ部に入ると思ってた。…なのに入らなかった」
「…体育をやっている姿。見たこと、一度もないよね。それどころか…私は…」
そこでともちんは声を震わせて言葉を詰まらせてしまう。
途切れた意味が私に伝わり涙が溢れてくる。
絞り出すような声でともちんは言った。
「私はゆうが走っているところを一度も見たことがない」
ともちんは泣き笑いのような表情で私を見る。
知っていたんだ。
ともちんのその表情が全てだった。
(二)
私は中学1年生の時、全国まで続く夏の大会に出場した。
1年に1度しかない日本一を決める大会。
どのチームも気合の入り方が違う。
当然、私たちのチームもこの試合に全てを懸けていた。
いたって普通の白熱した試合で、
いたって普通に私はゴール下でリバウンドをしようとして、
いたって普通に当たり負けをして、
いたって普通に足を強くひねってしまった。
たったそれだけのことなのに、
私は何故だか起き上がることができない。
担架で運ばれた時に見た蛍光灯は無機質な光を発していた。
そのまま私はみんなの元へ戻ることはできずに、病院で足の具合を伝えられる。
「なんとかして治すことはできないんですか!」
病室で家族に囲まれ医者と話す。
こんなの嘘だと思った。
ちょっと転んで足を挫いただけ。
頭も体もしっかりしているのに、右足だけが動かないなんてありえない。
「手術をしリハビリを続ければ日常生活は送れるでしょう」
「それならバスケだってまたできるようになりますよね!?」
懇願する気持ちで先生に訴える。
だが、その反応は良くないものだった。
先生やめてそんな顔しないで。
パパもママもやめてよ。
なんでそんな顔してるの。
海外とか、医療が発達しているところがあって…
きっと大丈夫って…
大丈夫って言ってよ。
こんなところで…
私が…バスケが…終わるはずない。
「残念ながら、神崎さんはもうスポーツをすることはできません。
こんな断裂の仕方は滅多にないのですが、これでは歩くことができるようになっても、走ることはできません」
はし…れない?
それじゃあバスケは…
バスケはもう…
そんなこと…
そんなことって…
その先のことは脳がシャットアウトしてしまう。
胸が詰まり息が上手くできなかった。
「手術は明日行いますので今日はゆっくりお休みください」
暗闇がゆっくり私に手を伸ばしてくる。
なにも…なにも考えられない…
闇に塗り潰されるように私の感情は消えていった。
「もう、本当にバスケはできないんですか」
乾いた声が病室内に響く。
最後の心残りが私に口を開かせていた。
去ろうとしていた先生は私を振り返り答える。
「残念ですが、もうスポーツはできません」
私の中にはもう何もない。
最後の光も消えてしまった。
「わかりました。ママ、パパ、お願い。私を一人にして」
無機質な声が喉から出てきて、私の思考は完全に停止した。
何も考えたくない。
私はただ目の前の白い壁だけを暗くなるまで見つめていた。
日が落ちて、心配した両親が病室に入ってきた。
「ゆう、大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
目の前の白い壁を見つめながら答える。
心は剥きだしで頭は回らない。
吐き出された言葉は間違いだと気づく。
「私は大丈夫だからもう帰っていいよ。手術の時にまた来て」
早くどこかへ行ってほしい。
どこかへどこかへ行け行け行け。
頭の中にはそれしかなくて、
剥きだしの心は空気に触れるだけで痛い。
「でも…」
「しゃべらないで!何もしゃべらないで!!」
金切り声で叫んだ。
ぎょろりと見開かれた目は白い壁から離れない。
「大丈夫だから、お願い。一人にして」
眼球が飛び出しそうな程に私は白い壁を見ていた。
胸が上下して息が上がっている。
両親は静かに部屋を出た。
私はそのまま消灯の時間まで、目の前の白い壁をただ見続けていた。
「神崎さん、消灯の時間です…」
看護師さんがこちらに近づいてくる。
背中に当てられた手の温かさ。
ずっとベッドに座りっぱなしで、
自分では倒れこむこともできなかった。
「神崎さん、背中倒しますね」
看護師さんがそっと私を寝かせてくれる。
おめめも閉じましょうね、
そう言って瞼を落としてくれた手は優しかった。
体がベッドに沈む。
…ようやく閉じた世界は真っ暗だった。
闇に塗りつぶされた黒を見つめていると、
白い壁を見ている時には見えなかった自分の心色が初めて見えてきた。
バスケを始めたのは小学校3年生の時。
楽しくて楽しくてたまらない。
それは明るい橙色。
周りの子が友達と遊んでいても私はバスケばっかりしてたっけ。
6年生になったら地区大会に出場して優勝した。
大歓声の中でメダルを持っている私は最高だった。
それは一番明るく輝く黄色。
中学生になって女子バスケット部の見学に行った。
そこで嬉しさが溢れる。
私の見ていた世界なんてちっぽけだった。
私はもっともっと強くなれる。
それはきらきら輝く情熱の赤色。
そして…
全国制覇を目指す仲間たちと切磋琢磨し、いよいよ迎えた全国へ続く大会。
このチームでもっとバスケがしたかった。
みんなで全国制覇を目指したかった。
楽しかった、嬉しかった、
心が燃えるような色こそ、その彩りに吐き気がする。
やっと迎えた大会はこれからだったのに…
私のバスケはこれからだったのに…
こんなにバスケが好きなのに…
きっと誰よりもバスケが好きなのに…
本当に…
絶対に…誰よりも…
バスケが…
すき…なのに…
もう…バスケは…
そこで心は断末魔をあげた。
湿った薄暗い部屋で拷問台に乗せられる。
まずは右足を切りましょう。
やめてやめてと泣きながら懇願する私と足。
振り下ろされたノコギリの歯は足にブシュっと刺さる。
悲鳴、それは私の悲鳴。
生温かいものがふくらはぎをつたう。
ズプッと刺さって一気に引かれるノコギリ。
この世のものとは思えない叫び声。
飛び散るいろんなもの。
ゴトッと落ちた右足に絶望。
剥キ出シニナッタぴんく色ノ心臓ニばすけっとごーるガ刺サッテ、
転ゲ落チタ私ノ頭蓋骨デ楽シソウニばすけヲスル仲間タチガ、
私ニ笑イカケテイルヨウニ心ハ断末魔ヲアゲテイタ。
頬に生温かいものを感じる。
今まで抑えていた感情や記憶、思考が飛び散って嗚咽となった。
私はシーツをぎゅっと握って引き上げる。
これは矯正だ。
薄暗い部屋で幾星霜も繰り返され、私の涙は枯れ果てた。
次の日、バスケをあきらめた私は空っぽだった。
手術には何の関心もない。
失敗して歩くことさえできなくなろうが、
成功しても歩くことしかできないんだからどうでも良かった。
手術は何の問題もなく成功し、リハビリ生活が始まる。
「神崎さん!がんばってリハビリをして学校行けるようになりましょうね!」
看護師さんは張り切った声で私を勇気づけてくれるが、
私の表情に色はなく目はただの水晶体だった。
心には、もう何もない。
「神崎さん、足!動かして!」
うるさい。
「リハビリだからねー!動かしづらいと思うけど、頑張ってやってみてー!」
うるさいうるさい。
「リハビリは痛くてもねー!頑張ってやるんだよー!」
うるさいうるさいうるさい!!
「やめてもいいですか」
「だめだよー!最初はみんなそう言うんだけどねー!」
プツン、という音。
次の瞬間、私は目をカッと見開いていた。
恐ろしい形相になって醜い言葉を吐く。
看護士さんは何か言っていたが、私には何も届かなかった。
リハビリは一向に進まない。
バスケしかしてこなかった私には、学校生活を楽しむ友人はいない。
友達に会いたいという理由で私はリハビリを頑張れなかった。
家に帰りたいという欲もない。
小学生からずっと今まで外でバスケしかしていなかったのだから。
外を歩きたいという欲もない。
動くことは全てバスケにつながるから。
歩きたくなんてない。
だってバスケはもうできないんでしょう。
私にはバスケしかないのに。
本当に…バスケしかないのに。
欲の全てをバスケに捧げた。
そのバスケがなくなった。
バスケのない私はもう生きる意味がない。
それでも死のうとしなかったのは死ぬ元気もなかったのだ。
死にたい、という欲さえもなかった。
ただあるのはバスケがしたい。
それができない私の時間は止まっていた。
病棟での一日は白い壁を見つめることから始まる。
そこからずっと何もしない。
食事はお腹が空いていれば一口、二口食べる。
生きる為に食べているわけではないので、どんどん痩せてついに点滴になった。
バスケの仲間が見舞いにくることもあったが、
体調が優れないという理由で二度と来させないようにした。
バスケができるという眩しすぎる色彩は、
私の中でどす黒い何かを増殖させ本当に体調が悪くなった。
私より弱いくせになんでおまえらがバスケしてんだ。
妬み羨ましさを超えて、恨み、殺意、復讐の気持ちにまで広がるようだった。
ママは毎日来てくれたが、私はほとんど白い壁を見ていた。
「調子はどう?」
「いいと思う」
「リハビリは、頑張れそう?」
「頑張れない」
「でも、頑張らないと歩けるようには…」
「頑張れないって言ってんでしょ!!」
些細な会話でもヒステリーを起こして怒鳴ったりしていた。
ママはごめんね。といつも一言だけ言っていた。
ご飯をたべること、リハビリをすること、元気になること、それらを勧めてくる医者と両親とのやり取りは凄まじいものだった。
すぐに私が怒り狂ってしまうからいつも話にならない。
話を続ければ私の怒りはさらにヒートアップして破壊衝動が抑えきれない。
点滴を抜いたり辺りの物を壊そうとするから、いつもママが話をやめさせてくれた。
そんな毎日が続いたある日、
私はどこかから聞こえてくるある音に反応した。
ボールの弾む音、
キュッキュッというバッシュが擦れる音。
私はバッとテレビを見た。
流れる映像を観た。
衝撃で震えた。
世界に、目に、心に、色が戻っていく…
怒り以外の新しい感情が、私の中に湧いてくる…
そこに映っていたのは帝光中学校男子バスケ部の試合。
私は食い入るようにその映像を見つめる。
これだけバスケに飢えているにもかかわらず、バスケを与えれば拒絶反応が起きていた私の体。
そんな体に唯一馴染んだのが、男子バスケだった。
みんなすごく上手。
個々の能力がとても高い。
でも、それを活かしているのは司令塔の男の子だとすぐにわかった。
それはくしくも私と同じポジション。
その男の子にはできて、私にはできない、妬み羨望がどす黒い何かとなって胸から込み上げてきそうだった。
しかし、動きの美しさやパスの流麗さに目を奪われ、恨みや殺意などの気持ちより、もっと見ていたいという気持ちの方が強かった。
「ゆう、ママね。ずっと思ってたんだけど、バスケ部のマネージャーになるっていうのはどうかしら?」
光の粒がはじける。
私の中に巣食っていた暗いものたちが、かき消されるように光が湧き上がった。
急に辺りが明るくなったように感じる。
いつも見ていた無機質な白い壁は、大理石のようにキラキラ輝き、光が部屋中を満たしていくようだった。
そう…それだ。
それならまだ…まだ…バスケといられる。
枯れ果てた目からは希望の雫が溢れ、
私はようやく青い空に浮かぶ雲や、お日さまの光を見ることができた。
窓の外は木々がきらめき、
鳥たちが大空へ羽ばたく美しい世界がそこには広がっていた。
(三)
それからの私の意欲は以前と比べ物にならないほどだった。
リハビリを始めるだけでなく、
看護師さんにもっとできます!とお願いして苦笑いされた。
最初はご飯も少しづつだったが、
ちゃんと食べられるようになると点滴が外れた。
空いた時間はバスケの本を読むようになり、選手の身体的ケアやメンタルケア、戦術などバスケに関わることは全て読んだ。
ママは嬉しそうに本を借りたり買ってきてくれた。
学校の勉強もきちんと始めた。
みんなに追いついてちゃんと復学できるように宿題などもやるようになった。
体調も良くなったのでバスケ部の仲間と顔を合わせられるようになったし、両親とも笑顔で話せるようになった。
目覚しく変化した日々が続いていき、
ようやく私は退院日を迎える。
手術後すぐにリハビリをしなかったこと。
長期間ベッドから動かなかったこと。
この二つが原因で回復に時間が掛かってしまったが、松葉杖が外れて歩けるくらいにまで回復した。
その頃にはもうあれから1年が経ち、2度目の夏が終わっていた。
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陽射しが強い夏真っ盛りの中、汗を垂らしながら学校へ登校する。
私の白い肌は太陽に焼かれ悲鳴を上げていた。
退院はしたが、これからが肝心だ。
歩く動作を体に慣らしていかなければならない。
まだゆっくりとしか歩くことができないので、
私は干乾びそうになりながらふらふら始業式へ向かった。
午後の授業も終わりようやく放課後になると、
念願のマネージャーデビューの一歩にうきうきしてくる。
楽しみでしかたがない。
もうバスケはできないけれど、どうしてもまだバスケに関わっていたいという強い気持ちで、辛いリハビリを乗り越えた。
ようやくその願いが叶うということで、私の気合は十分。
女子バスケ部か男子バスケ部か、どちらのマネージャーにするかはまだ決めていなかったが、
マネージャーのきっかけを与えてくれた男子バスケ部の方に気持ちが傾いていたのは確かだった。
それでも女子バスケ部の様子は見ておきたかった。
半年間だけだったけれど、全国制覇を夢みて全力でバスケをした仲間たちがいる。
そのサポートができるのも悪くないと思っていた。
私は女子バスケ部が練習している体育館に向かう。
久しぶりに見る体育館は、どこか懐かしさを感じさせた。
意気揚々と体育館に入ろうとした瞬間、
唐突な吐き気、悪寒、眩暈におそわれ、その場に立っていられなくなる。
目の前で動くプレイヤー、
その色や音や匂いが、私の頭をグサグサ刺す。
きも…ち…わるい。
体は冷や汗でびっしょり。
そのまま扉にもたれかかる。
バスケの仲間たちと話せても、私は仲間たちがバスケをしているその姿を見ることはできなかった。
恨みや殺意はなくなっても、そこに私がいないという憤りや焦燥などの違う感情がまだ私の中を這いずり回っていた。
倒れるようにトイレへ駆け込む。
持っていたハンカチで汗を拭いて深呼吸。
落ち着くのを待つ。
こんなことになるなんて思ってもみなかった。
たしかに羨ましい気持ちは少なからずあったけれど、私は仲間たちと普通に話すことができたし、男子だけれどバスケの試合も観られた。
それなのに…
私の胸にはまだ解決できないものが蠢いている。
怪我をしたあの時から私の体の中に何かがいる。
私ではない何かが巣食っているのは気持ち悪いものだったが、いつまでも恐怖に囚われてはいられない。
私は何の為に、ここまでして戻ってきたのか。
もう一度自分を奮い立たせて、
男子バスケ部の練習を見に行こうと立ち上がった。
さっきのことを警戒し、今度はゆっくり体育館に近づく。
生唾を飲み込み、呼吸を整える。
扉から、ソッと中を覗く。
自分の体がカッと熱くなった。
どんどん鼓動が早くなっていく。
目の前のプレイに夢中になる。
あぁ!私もバスケをしたい!!
バスケをしたいっ!!
走ってバスケをっっ!!!
…フッと我に返る。
そうだ…そうだった。
もう…私はバスケできないんだ。
ぎゅっと胸元のYシャツを握り締め、目をつぶり呼吸を整える。
それ以上はバスケをしている姿を見ていることができなかった。
結局、男子バスケ部の練習は女子バスケ部と同様に、一瞬しか見ることができなかった。
私にとってバスケットは恋人以上、家族以上の大切な存在。
足の怪我は、突然の交通事故で恋人も家族もいなくなってしまったような大きなトラウマを私に残していた。
それでも…
それでもまだ…
バスケに関わっていたい。
男子バスケ部が練習している体育館に背を向けて、呼吸を整えていると一人の女の子が話しかけてきた。
「あら?マネージャー希望かしら?」
うわぁ綺麗な人。
肩まで垂れる髪が素敵だった。
私もこんなふうになれるだろうか。
憧れの感情を抱いて私は元気良く挨拶をする。
「はい、男子バスケ部のマネージャーを志望しています!」
「嬉しい!マネージャーがまだ少なくて困っていたところなの。私は桃井、よろしくね」
桃井さんは手を叩いて喜んでいる。
笑顔が素敵で可愛らしい印象だった。
私も桃井さんみたいなマネージャーになりたい。
この時、強く思ったのをよく覚えている。
「桃井さん、私は神崎です。よろしくお願いします!」
「よろしくね、神崎さん」
一通りの挨拶が終わったところで、私は桃井さんに切り出した。
「あの…桃井さん!わたし、どんくさくてのろまだからコートに立たないような水場とか、裏方のお仕事させてもらえないでしょうか!!」
「え、そんなこと気にしなくても大丈夫よ?」
桃井さんは困惑しつつも、にっこり笑ってくれた。
その笑顔に負けそうになるが、
私には裏方でないといけない理由がある。
ここは絶対に引き下がれない。
「わたし!裏方のお仕事大好きなんです!どうかみなさんのお役に立ちたいので水場でのお仕事をさせてください!!」
懇願して思いっきり頭を下げる。
「…わ…わかったわ。神崎さんがそこまで言うなら任せるわね」
その言葉にほっとする。
私は走ることができないのだ。
加えてまだ、ゆっくりとしか歩くことができない。
それを周りに知られたくなかった。
知られてしまえば必ず気を遣われるから。
バスケでは最前線で前を歩いてきた。
司令塔というポジションで皆を率いて戦ってきた。
そんな私が気を遣われるなんて…身が千切れるほどのことだったのだ。
でも、裏方でなければいけない理由。
本当はこっちが真実。
コートに立って部員に合わせてサポートをすることになれば、足のことがバレてしまう。
それを話せば嫌でもあの時のことがフラッシュバックし、バスケはもうできないことを強く実感してしまう。
私はバスケができないことを早く忘れたかった。
プレイヤーとしての自分を早く忘れたかった。
だから、髪を伸ばした。
慣れないアイロンで髪の毛を毎日巻いた。
私も桃井さんのように、
マネージャーとして生きていきたかった。
(四)
「…と、こんな感じかな私の話は」
いつの間にか体は冷えていた。
初夏の夜でもずっと外にいれば肌寒い。
「ゆう..」
「え、どしたの!ともちん!?」
ともちんはとても悲しそうな顔をしていた。
それにこんな声は初めて聞く。
「ゆう…ごめんね。そんな気持ちを抱えていたなんて知らずに。思い出させちゃって、ごめんね」
「そんなことないよ!ともちんのおかげでこうして話せたし!
それにともちんがこうして聞いてくれなかったら、私ずっと一人で抱え続けるところだった。それに…それにわたし…」
感謝の気持ちが溢れて言葉に詰まってしまう。
私はおもわず立ち上がっていた。
「わたし!前に進めている気がする!だってこうしてちゃんと話せたし!!」
にっこり、笑いたいんだけどちゃんと笑えているかな。
目が霞んで、ともちんの顔がもうぐしゃぐしゃだよ。
「ともちん!ありがとう!!私の話を聞いてくれて、本当にありがとう!本当に…ほんとうに…ありがとう…」
堪え切れなくなった涙が溢れて、私はぼろぼろ泣いていた。
やっと誰かに話せたこと、受け止めてくれる友達ができたこと、
それでもまだ羨む気持ちがあること、まだバスケがしたいこと、
全てが零れ落ちていった。
ブランコの揺れる音が聞こえる。
ともちんは私の前に立ち、凛とした声で私の胸を打つ。
「ゆう…まだバスケをしたいって気持ちは、たしかにゆうを苦しめているかもしれない。だけどそれって…きっと悪いものじゃないと思う!」
胸がきゅっと締め付けられる。
今までにない大きな声で、
ともちんは私の胸に言葉を投げかけた。
「でも!その気持ちがあったから…まだバスケがしたいって思いをずっと持ってたから、マネージャーにつながったんでしょ!それなら…それなら…」
あぁ、私はずっと待っていたんだ。
誰かがこの言葉を投げかけてくれることを。
「まだバスケがしたいって気持ち、何も悪いことじゃないじゃん!!」
光が全身を包んで、温かいものが胸に流れてくる。
走れない私が望む叶わない願い。
それはいたずらに私を苦しめていたのではない。
今この瞬間につながっていた。
もう走れないけれど、バスケをやりたい気持ちは…
間違いじゃないんだよね?
「ゆう!お前はいつも聞いてって言うのに言わないんだ!!
だから…私が聞いてやるから…聞いてやるから!!バスケへの気持ち、今ここで言ってみろ!!」
あの薄暗い部屋にいた住人が私に手を差し伸べている。
そうか。
あれはともちんだったのね。
笑っていた仲間たちが見ていたのは、マネージャーの姿をした私だった。
気持ちが溢れてとまらない。
そう…バスケをしたい気持ちがあったから…
今の私がある!
初めてちゃんと自分の気持ちを言葉にした。
薄暗い部屋に押し殺していた願いを言葉にした。
願っても叶わないことも、
ちゃんと言葉にしないとむくわれないんだ。
ずっと苦しいんだ。
どんな気持ちにもきっと罪なんてないんだ。
あれから2年も経っちゃったけど、やっと向き合えたよ。
「ゆう、私勝つよ。夏の大会で全国大会に出場して全国制覇するから、絶対に。
ゆうにここまで言わせたんだ。絶対に全国制覇してみせるから」
胸に押し込めていたともちんを羨む気持ちなんて、いつの間にかなくなっていた。
それは全部ともちんが聞いてくれた!
預かってくれた!!
それならきっと応えてくれる!!!
「ともちん!ぜったいぜーーったい優勝だからね!目指すは全国制覇だよ!!」
泣きながら笑う私とともちんは、一際大きいハイタッチをした。
「ふふふ、なんだか恥ずかしいね」
私はこの上なく幸せな気持ちでいっぱいだった。
心に触れられることを恐れて、
友達に壁を作っていた今までがバカみたい。
「そりゃな。ところでさ、ちょっと気になってたんだけど」
「なぁに?これだけぶっちゃけた私には、もう話せないことはないのだよ!」
今なら何でも言える気がする。
すごくすごく心が軽い。
夜空を見上げると、
私の気持ちは星になってきらきら輝いているようだった。
「あのさぁ、ゆうがDVDで惚れた司令塔の男の子って…もしかして赤司?」
やっと星になれたんだね、
なんて耽っている場合ではなかった。
「な、なにをーー!?」
ともちんはしたり顔で私を見ている。
「そんな動揺したらバレバレじゃん」
ニヤリと笑うともちん。
あまりに唐突すぎて、
動揺が顔と言葉に出てしまったのは一生の不覚だ。
「帝光中学の男バス司令塔って言ったら有名だろ?バスケをやるやつなら誰でも知ってるさ」
そう言って、ともちんはまだにやにやしている。
「というかお前!帝光中からうちの高校ってめっちゃ離れてるぞ?
親戚と住んでるって言ってたけど…まさか…まさか…赤司を追って!?」
ッーーー!!!
今度は体中から変な汗が出てきて、
私の体はもうどうにかなってしまいそうだった。
前言撤回!!何でもなんて話せない!!!
「いや!ちがう!ちがう!!ほら、洛山高校は全国1位のバスケ強豪校でしょ!?
だから、私も今度はマネージャーとしてコートに立って、全国行きたいなーなんて、あはは…」
それは本当だ。
プレイヤーとして夢が絶たれた今は、マネージャーになってその夢を成し遂げたい。
が、赤司君のこともまぁあるけれども。
「半々ってとこか」
「ともちん!もう鋭どすぎ!!」
友達とこんなふうに騒いだのなんて、もういつ振りだろう。
それははるか昔、
私がバスケと出会う前のことのような気がした。
「赤司きっかけでマネージャー目指すようになったんだから、ゆうにとっては好きな人ってだけじゃなくて、救世主って感じ?」
手の下からニヤリと覗かせて大袈裟に聞いてくる。
「もう!ともちん!めっちゃからかってるんだから!!絶対に誰かにいったらダメだからねぇーーー!!!!」
そんなこんなで、その日は泣いたり笑ったり怒ったり大いに忙しい一日だった。
帰り道は今までにないくらい、
とても軽やかな足取りで空を見上げて家に着いた。
(五)
後日、帰省した日にはちゃんとママとパパにも報告をした。
「ゆう!久しぶりね!おかえりなさい!!」
「あ…ママ…ただいま。この間ね…あの…足のこと…友達に話せたんだ」
靴を脱ぎながら何でもないことのように言うつもりだったのに、やっぱりスラッと言えなかった。
「ゆう…ほんとぉ…ほんとなのね。ほんとに…いえたのね…」
ママは涙ぐんでしまう。
私は恥ずかしさもあって大げさだなぁと思ってしまったけど、家族にとっても深い傷になっていたのは確かだった。
「パパにもいわないと!」
そう言ってママはリビングへ駆けて行ってしまう。
「あ!ちょっっ!」
私の声なんて届かずにバタンとドアが閉まる。
このあとリビングに入りづらいなぁと思っていたら、ドアが開いた。
「ゆう!友達に話せたのか!!」
パパが勢いよく飛び出してきてびっくりする。
「う、うん。ちゃんとね…聞いてくれる..話せる友達ができたの」
パパに言うほうが恥ずかしくて、私は俯いてしまった。
「よかったなぁ、ほんっとうによかったなぁ」
パパとママの声が、
星になって私に降りそそいでいるようだった。
パパもママも涙もろくて、
私が泣き虫なのは両親に似たのだろうか。
こんな玄関の前で家族3人揃ってぐじゅぐじゅ泣いている。
あの時から2年。
ずいぶん時間が経ってしまった。
それでもいつかは乗り越えられる。
今こうしていられることに心が温かくなるのを感じた。