【小説】水色のエンジェルナンバー

【小説】水色のエンジェルナンバー

第9章 ー使命ー /あいつを連れ戻す


(一)

風邪で終了式を出そびれ、そのまま夏休みへ突入してしまう。

マネージャーを解任された私に部活動はない。
気の抜けた夏休みを過ごすなんて初めてだった。

滅多に帰ってくることのない娘に両親は大喜びし、
久しぶりに家族で旅行へ出掛ける。

アクティビティやら買い物やらカラオケ大会で、
いつも傍に両親がいたからバスケの事を悩む暇なんてなかった。

眠る時に忍び寄ってくる暗い影はあったけれども、
家族との時間は楽しかった。

しかし、いつまでも両親と一緒にはいられない。

そろそろ部活動が始まるからと嘘をついて、
私は親戚の家へ帰った。

両親から離れたといえども親戚は監視の目。
部屋に引き籠ってはいられずに私は夏休みの部活動を演じる。

学校の図書館はバスケ部員に出会う可能性があるから、あまり使えない。
片道切符で永延と電車に乗ってみたり。
三駅くらい離れたカフェに行ってみたり。
聞いたこともない公園に行ってみたり。

とにかくお金はすっからかん。

懐が寂しくなると、本当に心も寂しくなるんだなぁ。

そんな時に、ポッと心に浮かびあがったのがともちんだった。

あぁ、せめて友達に会いたい。

そんな日々を過ごしてようやく始業式の日を迎える。

久しぶりの学校にうきうきするなんて、中学生の頃と比べたらとんでもない変化だった。

ともちんに会えることは嬉しかったが、マネージャーを解任されたことは何て言おうか逡巡していて…

結局自分から言い出せず放課後になってしまった。

「おつかれ。ゆうのところも今日から部活か?」

ともちんは私に起きたことを何も知らない。
ただ部活があるのか聞いているだけ。

何てことない言葉なのに、塞がっていた傷がぱっくり開いてしまった。

胸をおさえて俯く。

何の変哲もない毎日が突然終わることがある。

それは足を怪我していた時に似ていた。

「おい、どうしたんだよ!」

答えられない私に、ともちんは場所を変えようとだけ言って、

授業が終わったあとの誰もいない家庭科室へ私たちは入った。

もう部活行けないんだ。

って、何でもないことのように笑って言おうと思ったのに、やっぱり言えなかった。

「ごめんね、ともちん。私いつもともちんの前で泣いちゃって」

「いや、そんなのいいって。それよりどうしたんだよ」

涙が次から次へと溢れてくる。

しんと静まりかえる家庭科室に、私のすすり泣く声だけが残っていた。

「あのね…あの..わだじ…わだじね…マネージャーがいにんざれじゃっだの」

「はっ?なんでお前が!!」

かくかくしかじか話していたら、涙も鼻水もだんだん治まってきた。

「話はわかったけど、なーんか納得いかねーな」

「でも、野崎君はすっごい反省してたし。やっぱりバスケは続けてほしいし」

「わーってる!それは…それはわかってるけどさ。なんていうの上手くいかないもんかね。

それこそ赤司様だろ?その野崎ってやつが犯人くらい突き止めていると思うけど」

「ま…まぁそりゃあ赤司様だけど。それはさすがに…どうなのかなぁ…」

それはどうしようもないことで答えなんて出ない。

正しい答えなんてあったら夏休みの間に考え付いている。

「あの…もういいんだ…」

私はこれ以上ともちんに迷惑をかけたくなくて、ありがとうと言おうとした。

すると、ともちんが俯いてしまう。

「ゆう…力になれなくてごめん。私もさぁ…ゆうに言わないといけないことがあって。ごめん…全国大会優勝できなかったんだ」

「知ってる!準優勝でしょ!大健闘だよ!!」

私はともちんの大活躍に手を叩いて喜んだ。

赤司君の前でいつも笑顔でいようとした努力がこんな所で役に立つ。

「なーーんだ知ってたのかぁ。あんなに全国制覇してやるー!!って豪語しておいてさ、はっずかしい!!」

「そ、そんなことないよ!その言葉にわたし何度も救われたし!!」

「ほんとかぁー。ま、結果は結果。受け入れて前に進むしかねぇな」

結果を受け入れて前に進む。

私もマネージャーを解任されたからって立ち止まっていたら、あの時と同じように時間は止まったままか。

でも、私はいったいどこへ進めばいいのだろう。

「そうだね。私も前を見なきゃ!」

「お、そうだ!ゆう、女子部のマネージャーやったら?」

私は本当に人に恵まれている。

壁にぶち当たると、
いつも周りの人が私を助けてくれる。

でも、女子部のマネージャーは難しそうだった。

男子部のマネージャーを解任されたことは、
いずれ女子部にも伝わってしまう。

そしてもう一つ、プレイヤーとしての未練は本当に断ち切れているのだろか。

本来であれば自分が立つはずだったコート。

そこに立つ私と同じ女の子たちをサポートできるのだろうか。

ともちんのことはサポートできると、確信を持って言えるが他の子はわからなかった。

私はやんわりとともちんに返事をする。

「それもありだね。考えてみる!」

「前向きにな!それじゃあ私もそろそろ、前向きに練習へ行きますかね」

「ありがとう、ともちん。話しを聞いてもらって、なんだか元気出た気がする!」

教室に戻ると私たち以外誰もいなかった。

「それじゃあともちん、また明日ね!」

「おう、また明日!」

部活へ勇むともちんに手を振る。

これから毎日私は友の背中を見送るのだ。

また明日また明日って続いていくけれど、
私はこれからどうすればいいんだろう。

西日が溢れる教室は、この世界で一人ぽっちになってしまったような不安と寂しさがある。

堪えきれずにツーッと頬に温かいものが流れた。

私は何もない空っぽのまま、高校生活を無難に過ごすのだろうか。

あの頃と違って今はバスケだけじゃない。
バスケ以外にも友達ができたりして学校は楽しい。

でもそれは表層でしかなくて、私の最深部には何もない。

ともちんに言われたように、女子部のマネージャーを考えてみようか。
それには不祥事の他にも自分の傷と闘わなければならない。

私にできるだろうか。
そもそも私はどうしたら良いのだろうか。
どうしたいのだろうか。

切ないような、もどかしいような、どうしようもない気持ちを抱えて、

心の整理はいつまでたってもできないまま、私は静かに泣いていた。

橙色の教室に別れを告げて、
帰る場所がない私はあてもなく歩き始めるしかない。

(二)

次の日いつも通りともちんとお昼を食べていたら、突然赤司君が私のクラスにやってきた。

神崎さん!神崎さん!

王子様が!王子様が呼んでるよ!!

しどろもどろになってクラスの子から呼ばれたので、私も一緒になって慌ててしまう。

「ゆう、しっかりしろ!どーんと行ってこい!!」

ともちんはこの状況を楽しんでいるようだった。

そんなともちんに構う余裕なんてなく、私は相当混乱していた。

「ええ…でも…ああ…うう…どうしよう…」

テンパッてしまって、ともちんの前をうろうろしてしまう。

しかし、いつまでも赤司君を待たせるわけにはいかない。

心の準備はできていないが教室の入口を振り返ると、

いいいいるーーーーーーーー!!!!

クラスの子は何も間違っていない。
女子からしたら赤司君の王子様オーラにみんなやられてしまうんだ。

「なにあそこにいる人」、「かっこいいー!」とかいろんな声が聞こえる中、私の心中はカオスだった。

なんでここに赤司君がいるの!
私を呼ぶ理由ってなに!?

てか久しぶりに会えてヤバい!
てか呼ばれるって恥ずかしい!!
でもそもそも私は赤司君からは嫌われてるよね!?

それなのに呼ぶって…呼ぶってことは…

絶対悪い事だ…絶対に悪い事だ。

これからどんな恐ろしい極刑が待っているんだろう。

という結論に至っていた。

と、ともちんに言われたようにどーん!といかなきゃ!

どーんと!!

自分自身を律して私は臨戦態勢に入る。

皆のスポットライトを浴びながら、私はまるで世界滅亡の危機にでも臨むかのように、

バックからゴゴゴゴー!という効果音が聞こえるくらい威嚇して赤司君に向かって行った。

しかしいざ赤司君を目の前にすると、
キュンとなってシュンと萎縮してしまう。

「な、なんでしょうか?」

嬉しさと恐怖が入り混じったような変な声が出る。

「神埼に話したいことがあるんだけど、今日の放課後生徒会室に来られるかな?」

優しい眼差しに穏やかな声、あぁ赤司君が戻ってきた!!

天使が空から舞い降りてきてファンファーレが鳴り響く。

「わかりました。放課後に生徒会室へ伺います」

なんとか脳内の平静を保ってやり取りをし、
こうして赤司君との戦いは終わった。

「す、すごい雰囲気の変化だったな」

私の脳内はお花畑になっていて幸せな気持ちでいっぱいだった。

そういえば私が水場で赤司君に会った時も夏休み明けだったと、あの頃を思い出してにやにやしてしまう。

「えへへー、赤司君が優しい赤司君に戻ってたー!うんうん、それだけで私はこの学校に来たかいがある!」

「まぁ似たもの同士って感じかねぇ」

ともちんは退屈そうに頬杖をついている。

「え、誰と誰が!?」

「お前と赤司が」

「え、なんで!?どうして!?」

私はわけがわからなかった。
赤司君と似ているなんて月とスッポンもいい所だ。
スッポンにすらなれていない気もする。

「どっちも眠れる獅子がいて兎もいるってことだよ」

う、うさぎ!?
赤司君がうさぎというのは随分可愛らしい気もするが…

そんな他愛もない話をして残りの昼休みを過ごした。
その後はあっという間に授業が終わって、
いよいよ放課後になると私は急に緊張してしまった。

「じゃ、じゃあね、ともちん。ぶ、ぶぶかつ、がんばってね」

私の震える声がぶぶ漬けに聞こえたようで、ともちんは大爆笑でいらねーよと言っていた。

「さっきの幸せオーラはどこにいったんだか」

可笑しそうにしているともちんをよそに、私は落ち着きを取り戻すのに必死だった。

体がカクカクする。
心臓がばくばくいってる。

「わ、わわわからない。とにかく、私はいか、いか、いかなきゃ」

今度はイカかよー!食べ物ばっかりだなーと言ってともちんは大笑いしていた。

やばい、本当にやばいかもしれない。

今まで赤司君と対峙することはあっても、何とかやってこられたのは、

唐突に訪れていた赤司君との戦いであったからで、こうも宣戦布告されてしまっては恐い!逃げたい!行きたくない!!というのが本音だった。

ともちんはまだヒィヒィ笑っていて、
そんなともちんの笑い声を聞いていたらだんだん落ち着いてきた。

涙を拭きながらともちんは言う。

「まぁ、そんな気張んな。悪い話じゃないかもしれないだろ」

そうだ。悪い話じゃないかもしれない。

ともちんの悪い話じゃないという言葉に縋るようにして、私は最終決戦へ赴いた。

(三)

生徒会室は赤司の間って呼ばれたりしている。

退部届けを幾度も渡しに行っていた場所であり、
良い思い出がないどころか悪い思い出しかない。

というか赤司君と話していて良い思い出なんかない!!
いったい何度、何度、あの扉の前で深呼吸をしたことか!!

入部当初と同じように重い足取りで扉の前に辿り着く。

マネージャー時代に染み付いたルーティンを繰り返して、自分を落ち着かせる。

私はもうマネージャーじゃない。
赤司君のマネージャーじゃない。

人と人として話しをするのだから、赤司君を恐れることはないのだ。

自分にそう言い聞かせ胸を張って扉をノックする。

「どうぞ」

「失礼します」

扉を開けて赤司の間に入る。

心臓おさまれー!というのが心の中の第一声だった。

赤司君に会えた嬉しさなのか、
これから起こることへの恐怖なのか、
私にはもうどちらなのかわからなかった。

呼ばれた場合どのようにしたら良いのか分からず、
蛇に睨まれた蛙みたいにおろおろしていた。

「神崎そこに座ってくれるかな?」

「は、はい!」

赤司の間の空気に完全に飲まれ、
マネージャーだった頃みたいになってしまった。

座るのは初めてのことで長丁場になりそうな予感がした。

「そ、それで話しとはどのようなことでしょうか?」

赤司君は珍しく黙っていた。

沈黙が重苦しいのと一体何の話なのかで泣きべそをかきそうになっていると、赤司君がようやく口を開いた。

「神埼、マネージャーの件はすまなかった。野崎がやったことは分かっていたんだが、

結果的にお前を傷つける形となってしまった。野崎は昨日、オレに全部話してくれた」

驚きで目が見開かれる。

自分のことよりも野崎君どうして!?という思いの方が強かった。

「そ、それはどういうことですか!?」

あれだけ頼み込んでいた野崎君が、
自分から言うなんて夢にも思わなかった。

赤司君は野崎君と一体どんな話しをしたんだろう。

「そのままの意味だ。お前に罪はない。マネージャーに復帰させてあげてほしいと野崎から言われているが、もちろんオレもそのつもりだ」

最後の言葉が耳に入らないほどに、私の怒りは沸点に達していた。

野崎君がどうしてそんなことをするのか分からなかった。

私がどんな思いでマネージャーを諦めて野崎君の約束を守ったのか、彼は知るべきだ。

マネージャーを解任されてあんなに泣いていたというのに、私は野崎君に対しての怒りの方が強くて、一発ぶん殴らないと済まないくらいに私の気は立っていた。

「野崎は自分のしたことの償いとして、男子バスケットボール部を退部した」

ポカンと口が空いてしまい、呆れて言葉も出なかった。

私にマネージャーを返すことが償いだと思っているなら大間違いだ。

私はそんなつもりで野崎君との約束を守ったんじゃない。

それに…それに…そんなの償いじゃない。

膝の上で手の平をギュッとする。

ガタン!と音がして私は思わず立ち上がっていた。

「野崎君を連れ戻してきたら!もう一度!もう一度!!野崎君にバスケをさせてもらえますか!?」

「…野崎はチームに必要な仲間だ。できることなら連れ戻してほしい」

私は赤司君のその言葉で喜びに震えた。

そうだよね仲間だよね。
心があたたかくなるのを感じる。

私にできることがあるのなら精一杯やろう。

「わかりました!私が全力で野崎君を連れ戻してきます!!」

私は颯爽と部屋を後にして、
赤司君の最後の言葉を聞いていなかった。

「やはり神埼に任せておいて良かった」

(四)

野崎君を探しに生徒会室を飛び出したはいいけれど、一体どこにいるのだろうか。

まさか野崎君のお家に行ってインターホンを押すわけにもいかず、そもそも野崎君のお家がどこにあるのか私は知らなかった。

学校のどこかに残っているのも考えにくいので、他に野崎君の出現スポットを巡らせると、やはりあそこしかなかった。

歩きながら野崎君は一体どういうつもりだったのかを考える。

大ごとにならなければ有耶無耶になっていただろうが、救急車で運ばれるなんて野崎君も衝撃だったのだろう。

もしかしたら最初から、インターハイが終わったらバスケを辞める覚悟でいたのかもしれない。

そういえばあのロッカールームで話した時、必ず償うからと言っていた。

そんなの覚悟でもなければ償いでもない、絶対に。

そんなことを考えていたら納まっていた怒りがまたフツフツとしてきて、公園に着く頃には沸点に達していた。

野崎ふざけんな!という思いでバスケットボールのある公園を見ると、そこにいたのは小学生たちだった。

楽しそうにみんなでバスケをしている。

そんな簡単に見つかるわけないと思っていたので、私は暫く子供たちがバスケをする姿をベンチに座りながら眺めていた。

きゃっきゃしながらバスケをしているその姿が眩しくて、微笑ましいながらも切ない気持ちになる。

私の傷はそう簡単に癒えるもんじゃない。

ともちんのおかげで大分良くなったけれど、そんな簡単に癒えても困るのかもしれない。

だって、バスケへの思いはこんなもんじゃない。

バスケがしたいという気持ちを抱えて生きることにした私には、このくらいの胸の痛みが丁度いいのかもしれない。

一生懸命にバスケをやっていた子供たちも、さすがに私の存在を気にし始める。

あの人ずっと見てるよ、一緒にやりたいのかな、でもなんか恐くね、という丸聞こえの子供たちの囁き声が刺さる。

自分でもたしかにちょっと怪しいよね。とは思っていたので、当たり障りのない声をかけてみた。

「みんなバスケ上手だねー!」

子供たちの視線がさらに鋭くなって痛い。

声をかけたら余計に怪しまれてしまったようで、不信感オーラがあからさまになり私はたじろいだ。

「そ、そろそろ暗くなるから明るいうちに帰らないとだめだよー!」

こうなったら子供たちの心配をして、怪しい者ではないアピールを必死でする。

実際に夕日は過ぎ暗くなり始めていた。

「おねえちゃんもバスケやりたいの?」

一人の女の子がそう言ってくれた。

私はそんなことを言われたのが初めてで、
誰かとバスケをするなんて考えたこともなかった。

もちろん、バスケやりたい。

バスケやりたいに決まってるじゃん。

でも…もう…私はできないんだよバスケは。

子供たちに答える言葉を探している時に、また自分に嘘をつきそうになっていることに気づく。

私はもう隠さないって決めたんだ。

「私もバスケやりたいよー!」

笑ってそう答えた。

やりたいって、どうする、
でもおねえちゃん入ったら数合わないし…

子供たちが私を仲間に入れてくれようと様々なことを言い始めてしまい私は慌てた。

「あ、でもちがうの!ちがうの!私は足が悪くてもうバスケできないからいいの!」

信じられないくらいすんなり言えた。

あれほど苦しかったり泣いたり大変だったのに、子供相手には素直になれたりするのだろうか。

すると、一人の男の子が思いもよらないことを言った。

「なんで?おねえちゃん歩けてるのに?」

はじけた。

その瞬間、体が震えてどんどん熱くなる。

歩けている…

わたしは…歩けているのに、

そうだ…そうだ…

バスケができないって決めつけていたのは私じゃないか。

ずっとバスケはできない、もうバスケはできないって暗示をかけて、

バスケがやりたいって言った後も、バスケと距離を置いていたのも私じゃないか。

歩けているんだから、ボールに触ったり、ボールをついたり、シュートを打ったり、それくらいならできるじゃないか。

私はふらふらと歩いて、
子供たちからバスケットボールを受け取る。

目に熱いものを感じて気がつくと涙が頬を濡らしていた。

悲しいも嬉しいも何もない。

ただ胸が熱くなって、ボールに触れただけで涙が溢れだしていた。

心ではなく体、私の両手は、ずっとバスケットボールを求めていたのかもしれない。

足を怪我してから一度も触らなかったボール、触ろうとしなかったボール、悲しみと共にずっと避けてきたボール。

私はボールをぎゅっと抱きしめて、誰にともなく謝っていた。

ごめん…ごめん…

いつでも傍にあったのに、こんなに簡単に触れるものだったのに。

ずっと…ずっと…触ろうとしなかった。

小学生でもシュートが決められるほどゴールに近づいて、ボールを投げた。

ガンっとサポートエリア枠に当たって、ボールがゴールに吸い込まれる。

ネットが揺れてシャランランと音がした。

子供たちが傍にいるのも忘れて、私はゴールを見つめながら涙で顔をくしゃくしゃにして立ち尽くしていた。

「おねえちゃんやったじゃん!」

「ナイシュッ!!」

「おねえちゃんバスケできたね!」

子供たちが集まってきて、ハイタッチをしてくれる。

みんなが優しくってさらに涙が込み上げる。

私はお礼を言って子供たちにバスケットボールを返した。

「そろそろ本当に暗くなるからみんなもう帰ろうね。バスケやらせてくれて本当にありがとう!!」

涙を拭いながら子供たちに声をかけていたら、
また泣きそうになってしまう。

「おねえちゃん泣き虫だなぁ!そんなんじゃ強くなれないぞ!」

なんて言われたりして、私は子供たちとあたたかい時を過ごした。

そして子供たちはお家に帰り、いよいよ空は真っ暗になる。

蛍光灯が点灯し浮かび上がる夜の公園は、とても静かだった。

子供たちの賑やかさがなくなると、今度は後ろのマンションから家族の話し声や笑い声が微かに聞こえてくる。
親戚の人たちはみんな優しくて大好きだけど、こういうときはやっぱり両親が恋しくなる。

夜は寂しさや悲しさをつれてくることがあるけれど、気持ちを静めたり落ち着かせてくれたりもすると思う。

子供たちとのバスケで興奮した熱は、もうすっかり胸の中におさまっている。

そうだ。
今度バスケットボールを買おう。
そしたら私もここでバスケをやろう。

期待に胸がふくらみ世界が星のようにキラキラするようだった。

そんなことを考えていたら、
あっという間に時計は9時をさしていた。

野崎君はきっとくる。
部活をやめたといっても、そう簡単に人のリズムは崩れない。
体育館の自主練が終わる9時。
そのあとの公園での練習で必ずここを通るはず。

予想は見事的中し、野崎君が通るのが見えた。

「野崎くーん!」

ベンチから立ち上がって野崎くんに手を振る。

わたわたしている野崎君が可笑しい。
私がいてとても驚いているようだ。

「か、神埼!?」

私はいじわるく聞いてみた。

「今日はバスケやらないのー?」

野崎君は嘘をつくのがとても下手で、でもそこが憎めない彼らしさでもあった。

「きょ、今日は体育館で自主練やりすぎて、帰ろうと思っていたんだ…」

私は野崎君の嘘に乗っかることにする。

これは小さな仕返しでもあった。

「じゃあここに座ってはなそうよー!夜風が気持ちいいよ!」

野崎君はきまり悪そうにこちらにやってきてベンチに座る。

「自主練おつかれさま!」

隣に座る野崎君に声をかけるが、上の空で返ってくる。

「お、おう」

「友達から聞いたんだけど、最後の決勝戦は惜しかったね。たったの1点差なのに、大きな1点差だったね」

「あ、あぁ」

野崎君は気になることがあると、それで頭がいっぱいになってしまって、私の話なんて聞いちゃいない。

そろそろ可哀想になってくるので本当のことを話す。

「私ね、野崎君にいじわる言っちゃった。赤司君からもう聞いて知ってるんだ。野崎君バスケやめちゃったんだね」

少しの間があって、野崎君はうん。と一言だけ言った。

そんな野崎君を見ていたら、ハリがないというか、うじうじしていたあの頃の自分を見ているようで、

人の気もしらないで!!もう!!とむかっ腹が立ってしまった。

「野崎君!あんなにバスケを頑張っていたのに、どうして辞めてしまったの!?」

思わず立ち上がって、そう言ってしまった。

「それはオレだって…いや…オレは取り返しのつかないことをしてしまったじゃないか!!」

「そうだけど、そうだけど、そんなんで折れてしまうバスケへの思いなの!?」

さらに熱くなって、野崎君を攻撃してしまう。

「それとこれとは違うだろ!」

「違くないし!!」

ともちんのように上手くはいかず、
ただの言い合いみたいになってしまった。

こんなはずじゃなかったと、反省して頭を冷やす。

「野崎君。私ね、今日ここで、子供たちとバスケをしたの。最初バスケやりたいの?って聞かれて、それでね…」

「バスケできないんだって言ったの」

胸が苦しくなる。
こんな思いを、一体私は何度し続けるんだろう。
声が震えてきてしまい、呼吸を整えて続きを話す。

「私の足はね、歩くことしかできなくて、もうバスケができないんだ。

そしたら一人の男の子がね、なんで歩けるのにできないの?って言ったの。

その時、光が射したような感じがして、わたし、2年振りにバスケットボールに触れて、シュートした。

みんなみたいに走ることはできないんだけど、これが私のバスケだって、これが私のバスケなんだって、思えたの」

震える声で最後まで言い切った。

深呼吸をして落ち着いてくると、
語ってしまった自分が急に恥ずかしくなってくる。

「あ、あの、えーっと、いろいろ言っちゃったんだけど、私は野崎君にバスケを続けてほしいなっていう、そういうことであって…」

しどろもどろになって、後に続く言葉がみつからない。

「神崎、ごめん。お前のこともそうだし、お前がそんなふうに思っているなんて全然知らなかった。

でも、バスケをやめるっていうのは、オレもそんな簡単に決めたことじゃないんだ。

もちろん、こんなところでバスケをやめるのは悔しいけど、

上倉と神埼に、それからチームのみんなに、迷惑をかけてしまったオレは、これぐらいしか償えることがないんだ」

野崎君は差し迫った声でそう言って俯く。

赤司君からではなく本人から聞いても、
やっぱりそれは償いじゃないと心の底から思う。

だから、凜とした声で答えた。

「野崎君、それは償いじゃないよ」

私の声は静寂の夜の公園に響いた。

「ちゃんと上倉君に向き合って、私と向き合って、チームのみんなに向き合って。

野崎君の退部を望んでいる人なんて、誰もいないよ!赤司君も、野崎君はチームに必要な仲間だって、言ってたよ!」

信じられないという顔で私を見ていた。

「あ、あかしが?」

私はちゃんと野崎君の目を見て伝えた。

「うん。みんな野崎君のこと、きっと待ってるよ。たしかに野崎君は、大変なことをしてしまったけれど、それは償いじゃないよ」

本当の償いはその場から去ることじゃない、最後までそこで闘うことだ。

野崎君は両手を顔にのせてうな垂れてしまう。

「じゃあ、オレは、一体どうしたら…」

「野崎君、今度こそ自力で試合に出よう!私も手伝うから!!そして、次こそ全国制覇しよう!!」

俯いていた野崎君が空を見上げる。

「全国…制覇…」

「私たちはみんな、ちょっと間違って、あと一歩のところで優勝を逃してしまった。

でも、これを乗り越えたら、きっと次こそは、必ず手が届くはず!次こそ取りに行こうよ!!」

これは励ましなんかじゃなくて、本当にそんな気がした。

みんなが一つになれば、きっと次は優勝できる!

「そうか…そうだよな。オレはちゃんと向き合っていなかった。

上倉と、神埼にもみんなにも、ちゃんと向き合って、

それでもし…もし…まだ、オレが、バスケをしてもいいなら、チームがオレを必要としてくれるなら、それに応えよう」

私も空を見上げる。

夜空に一番星が輝いていた。

「野崎君がバスケを続けてくれたら、私はとても嬉しい。この公園で毎日練習している姿を、ずっと見ていたからね」

「あ、ありがとうな。その、いつも助けてくれてよ」

ちょっと照れくさそうだった。

野崎君は愛嬌がある人だから、これからもチームの中できっと上手くやっていけると思う。

私たちは進むべき道を間違えることがあるけれど、
きっとまた、明るい方を向くことができる。