題:パンオショコラ
作:宇野木真帆
噴水のある駅の一角の、サンジェルマンには、こんな素敵なパンがありました。
パンというけれど、じつはパイ。
表面はまるっとコーティングされたチョコレートに、中もぎっしりのチョコレート。銀のホイルケースにのせられて、高級感を漂わせています。
そう、わたしの大好きな、パンオショコラがありました。
ミートパイと悩んでは、一歩抜きんでるパンオショコラ。
宝石を見つけた時のような、キラキラした気持ちで、これ買って!と、ママにせがんでいたけれど、自分で取れるようになる頃、お別れをしました。
じつはちょっとぽっちゃりさんで、思春期の悩みに、一歩遅れをとって、ばいばいパンオショコラ。
そうして気がつけば、いつの間にか、わたしは大人になり、久しぶりにパンオショコラを思い出した時にはもう、いなくなっていました。
チョコがつくパンは、チョココロネにチョコドーナッツ、いろいろあるけれど、しあわせいっぱいで満たしてくれるのは、パンオショコラだけなのです。
でも、いつもいないのね。
わたしはもう一度、パンオショコラがたべたい。
見渡す限りのチョコレート、かぶっと口にふくめば、じゅわーっと広がり、中までしっかりチョコレート。
銀の縁取りがおしゃれで、他のよりもちょっとだけ高級感。
新顔はちらほら見かけるのに、パンオショコラはいつもいません。
そうしている間に、結婚して、子どもが生まれて、わたしは引っ越すことになりました。
とうとう、パンオショコラに会えないまま、ばいばいサンジェルマン。
緑豊かな燕が舞う駅で、ベビーカーと一緒に散歩をしていると、オレンジマークのパン屋さんがありました。
右角に佇んでいるサンジェルマン。
二人だけど一人で過ごしているような日々のなか、唯一、故郷とつながっている場所。
さびしかった街で、ママに会えたような、そしていつしか、わたしがママになっているという、時の流れ。
どれだけ時間が経っても、パンオショコラには会えていないけれど、こうしてつながっているから、また、いつか、会える気がしています。
そのとき今度は、わたしが娘に、パンオショコラを買ってあげる番です。