働くってなんだろう~仕事探しを通じて気づいたこと~

働くってなんだろう~仕事探しを通じて気づいたこと~

題:就職がこわかった

作:宇野木真帆

25歳で3回目の就職先を見つけた後、私は大学生3年生の時に『就職がこわい』という本に真っ直ぐ手を伸ばしたことを思い出した。
その時の私の心情は『絶対内定取れる!』とか、『必ず受かる面接対策!』というものに不安を抱えていたわけではなく、もっと根本的な、その後のことがこわかった。

「働くことなんてできない」

今思えば、そのことと闘い続けた果ての3回目の就職だった。

諦めの早さというのか、心の折れやすさというのか、社会人3年目にして3回目の転職先といのはこの身にけっこう堪えることであった。
これから先、こんなことを繰り返していけば、いずれはどこも雇ってくれないことは容易に想像がつくし、親までもがいなくなれば、あぁ、こうして生活困難者になってしまうんだと悲観した。
「あなたここで辞めたら逃げ癖がつくわよ」
6年間続けてきたテニスを入部1週間であっさり辞めた時に言われた先輩の言葉は今でも鮮明に覚えている。

就職に対して焦りと恐怖を感じていた私は、その後自身を変えるべく就職塾に通いはじめた。大学のない日は10時から23時までどっぷり漬かり、友達からは宗教だと言われたが、私はそれを志だと信じ続け、ついにはその塾の講師となった。
大学院の合格と入学金数十万を蹴ってまで就職したそこの講師を、私は9ヶ月で辞めた。
とてもじゃないけれど、私にはそこでやっていける力がなかった。

新卒1年目で辞めてしまった落ちこぼれというレッテル。営業は二度とやりたくない仕事になった。
だから次にはじめた新しい仕事は事務にした。アルバイトからはじめた事務の仕事は私にもできることだったが、社員登用された瞬間に仕事の量とレベルが上がってしまい、私はまたついていけなくなってしまった。
「仕事は遅いしミスばかりであなたの信用はとても低い。もっと頑張れませんか?」
答えはノー、私はそこを1年半で辞めた。
そして事務も二度とやりたくない仕事になった。

25歳で3回目の転職。経歴はぐしゃぐしゃで生きていること自体が恥ずかしかったが、それでも私が折れなかったのは、あまり自分を責めすぎなかったからだと思う。
「どうしてもっと頑張れなかったんだ」
「また逃げ癖がついてしまった。あそこで踏ん張らないといけなかった」
「人よりもできないのだから、人の倍は頑張らないとだめなのに」
自分を責める言葉はいくらでもあるけれど、それを私は自身に向けなかった。責めることで力が湧く強い人であれば良いけれど、私は弱いことを知っていた。叱られたら泣いてしまうし、それが続けばすぐに逃げてしまうとても弱い人だと。
だから私はこう考えた。

そうだ、今のままの自分にできることを仕事にしよう。

エージェントに助けを求めて仕事を紹介してもらうことにした。かつ、正社員ではなく派遣社員に絞ること、残業もなしで、本当に簡単な仕事を一からやっていくことにした。

そして今、私は事務の仕事で3年目を迎えるまでになった。
あの二度とやりたくないと言っていた事務をである。

人には適材適所があるというけれど、私はその前にレベルの適所があると思う。小学生にいきなり中学生の教科書を渡すように、二段も三段も上回る仕事を渡されても、できないことだらけで自信ばかり失ってしまう。

大切な事は逃げてもいいから諦めずに自分のできる仕事を探していくこと。

今では同じ職種であれば、もう少し時給が高い難しい仕事でもいいな、残業だってしてもいいな、と自然に思えるようになった。
社会人の第一歩はずっこけてしまったけれど、人生は長い。
たった3年でこんなにも変われるもんだ。
七転び八起き、そんなに転ばなくても人はちゃんと歩いて行ける。

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