私はゼスティリアが好きです。
世間ではなかなか酷評ですが、こういう人にはきっと合う。
というまとめをネタバレしないように作りましたので参考にしていただけると嬉しいです。
人の気持ちに興味がある人
Ⅰ 親しい仲間たち
キャラクターたちの会話は、非常に親しい人と話すように、
「そういうこと」 「わかってる~」
などの相手の性格や思考を分かった上で進められる会話が多くあるように思えます。
つまり、はっきり言わないんですよ。
「あんたなら、そうすると思ってた」、「オレはオレだしなっ!」
以上!みたいな会話だと思っていただければ良いかと。
(※さすがにここまでざっくりではないですが。)
最初の慣れない頃は、なんのことを言っているんだと、頭を抱えますが、
キャラクターの性格や思考を踏まえて、会話を聞いていき、分かった時はすっきり!
そして、自身も親しい一人となるようで楽しいものです。
(反対にいえば、だからこそ分かりづらい、プレイヤーを置いてきぼり、といわれる評価につながってしまうのかと。)
Ⅱ 身近なストーリー
よしっ、このゲームを買ってみようと決める時、面白いストーリーであるかは非常に重要だと思います。
何をもって面白いとするかは、本当に人それぞれです。
ゼスティリアはどのような感じかというと、王道冒険RPGの「魔王を倒しに頑張るぞ!」という雰囲気は少ないです。
それどころか仲間が、あまり気張り過ぎないでください、って言う新しい感じです。
さらには、世界を救う勇者に、たまには好きなこともやりましょう、なんて言ってしまうくらいです。
FFと比べると話のスケールは小さいです。(比べるもの間違ってる…?)
あとは、複雑でもない。じつは…! まさか…! は狙っていないようですね。(テイルズオブレイズのように)
※終盤でじつは…!まさか…!がありました(笑)
テイルズの良さはスケールよりも、仲間同士の掛け合いですからね。
テイルズ好きな人は、きっとどのテイルズシリーズをやっても楽しめるのかと思います。(元も子もないですね…)
人の気持ちに興味がある人には、とても楽しめるストーリーだと思います。
世界を救う勇者に、あまり気張り過ぎないでください、と言う理由とは何か。
そして、ロゼの抱えるものと、スレイの抱えるもの(導師)は、考えさせられる一つのテーマになっています。
一体、ロゼはどんな気持ちでそんなことをしているのだろう、とか。
スレイのどっちも救いたいという甘い考えで、どこまで解決できるのか。
そして、いつまでそんな考えでいられるのか。
視点を変えれば、私たちの実生活に落とし込めてしまえるのは、スケールが小さいからだと思います。
世界を救う勇者は、例えば頑張っているあなたに。
あまり気張り過ぎないでください。たまには好きなことをしましょう、それがあなたです。自分を見失わいでくださいって。
Ⅲ ロゼという子の印象が悪すぎる
ちまたで聞く「ロゼ」という名。
この女の子がゼスティリアの評価をだだ下がりにしていると言っていいほどに、ロゼロゼ見かけます、
が、
そんな悪い子ではないですよっ!と私は言いたい。
なんというか、女子受けが悪い子?
男の子に取り入ろうとしているように見える感じ。
でも、そう見えるのは最初の一回だけだと思います、たぶん。
あとは、やたら他の女の子を気にするところが、たぶん女子受け悪い。
でも、それも最初の2.3回だけだと思います、たぶん。
ロゼはある意味、その辺りには天然で、狙っているわけではない、
そういう性格なんだ、と。
だから最初はちょっとあれなんですけど、進んでいくと、
最初の印象があまりな分、あっ、めっちゃいいやつだわってなります。
ペンドラゴのところね、ここまでは、ここまではっ、ロゼを見てほしい。
「法で裁けぬ悪をどう裁く」というのはヴェスペリアという作品のユーリの言葉ですが、
同じようなことがロゼには言えます。
そして、迎える終盤、エンディングで、ゼスティリアにはロゼじゃなきゃダメだったと、私は思いました。
リアラでもなく、ファラでもなく、もっと強い女性キャラ、暗殺という役割をもったロゼだからこその、深いエンディングでした。
遺跡がすき、探検がすき
縄文時代の古墳とか、エジプトのピラミッドとか、
入ってみたい!と私は思っている人です。
日原鍾乳洞とかわくわくするし、暗い地下空から出た時の陽射しがまたいいっ!!
と、ゼスティリアもまさにそんな感じで、至る所に遺跡が眠るという世界観です。
そこから紐解く世界の歴史、世界の成り立ち。
いやー、楽しい。
(遺跡探検が好きじゃないと、ゼスティリアは苦行かも。なんせ遺跡がやたら多い笑)
テイルズシリーズ初期の人
勝手に初期の人としましたが、PS2までの人という感じでしょうか。
テイルズシリーズを最後にプレイしたのは、レジェンディア(アビスと同時期発売)だったので感激しました!!
Ⅰ フィールド・街を歩いててしゃべる
しゃべる、しゃべる、みんなたくさん話すから楽しいー!という感じです。
フィールドで何かの拍子に急にしゃべりはじめます。
左下にアイコンつきで字幕が出るので、誰がしゃべっているのか一目で分かって良いです。
そして、街を歩いていると、人の話し声が聞こえてきます。
これも左下に出てきて、なんとっ!仲間たちがそれに応えて話しはじめる。
街を歩いていても楽しい~
Ⅱ スキットが多い
キャンプをしないと、仲間たちの会話が聞けない時代は終わりました。
本当にいろいろな場面でしゃべるしゃべる!
ディスカバリーを見つけてもスキット、セーブポイントに触れてもスキット、
宿屋に泊ってもスキットスキット、そこでは10回くらい連続で観ましたよ!
Ⅲ バトルを極めたい人
テイルズといえば、無類の操作性ですね。
一つ一つの戦いに精を出し、グレードにいそしみました。
何もならなかったけど。(グレードショップはエターニア以降)
でも!今はグレードが恩恵という形で返ってくるんです!!
楽しい~
楽しい~
攻撃手段もめちゃめちゃあります。通常攻撃だけで14個、特技を出せばさらに5個、からつなげて上位奥義につなげたり、
さらに神依化すれば、それらが仲間の数だけある!
30時間やっても、まだまだこれはだめだったなぁとか思ったりします。
柔軟に考えを受け入れられる人
これはクリアしてから思ったことですが、
殺しは正義というような雰囲気のある物語なので、柔軟に捉えてプレイした方が楽しくできるのではないかと思いました。
そもそもスレイがそういうタイプなので、そうした性格のプレイヤーの方が親しみが持てるでしょう。
たぶん、これが一番大事な要素で、酷評の多くはここにあると思われます。
ゲームならではを感じたい人
なぜゲームをするのか。
ストーリーを知りたいならマンガを読めばいい、アニメーションが見たいなら、アニメを観ればいい。(ゼスティリアはゲームしかないというのは置いといて)
なぜゲームをするのか。ゲームの唯一の特徴はコントローラーがあること、
自分が操作をしているということです。
その操作性をここまで顕著に示せたゼスティリアは、本当に素晴らしいゲームです。
それだけでもプレイする価値があるほどです。(ICOもそう)
感情移入の程度はあれこそ、泣きべそかきながら、戦ったのは初めてです。
エンディングでは、ここまでさせるのか、と思わされました。
終わってみて…
ごめんなさい、ネタバレしてでも伝えたいことがあります。
終わらせるのに最初の投稿から1年半が経ってしまいました…。
ゼスティリは酷評に次ぐ酷評でしたが、否定されるゲームに私はそそられます。
なぜ否定されるのかも気になるし、本当に否定されるような内容なのかも気になる、そうやって考えることが大好きな変人です。
そういった私にはゼスティリアはとても面白い物語でした。
内容が、殺しは悪か正義か、という繊細なテーマでもあるために、評価は荒れています。
考えさせる話なんです、ゼスティリアは。
ロゼは誰でも殺しているわけではない。ちゃんと見極めて殺してる。そして殺しがいけないこともわかってる。だから、スレイや他の人には殺させたくなかった。それを阻止することが彼女の答えだった。だから素晴らしいエンディングだった。
スレイだって、ロゼが殺すのを認めたわけじゃない。やっぱり殺してほしくないって思ってる。でもだからって、それで嫌いになる、縁を切るってわけじゃない。殺し=悪という固定観念で、ロゼの他のいい所を見失っていない。
0か100の好き嫌いではなくて、嫌い20の好き80を受け入れるという、とても難しい考え。そしてそれは、私たちにとって苦手な人との付き合い方のアドバイスでもある。
だからスレイは最後にサイモンへ、悪だっていいじゃない、って言ってる。
居てもいいんだよって。
そしてゼスティリアはある意味で、何も成せなかった物語ともいえる。
ロゼは結局、スレイの殺しを止められなかった。スレイはアイゼンを殺すことしかできなかった。ヘルダルフを殺すことしかできなかった。それしか救いの道を見出すことが、現状ではできなかった。
タイムオーバーだったんです。
時間は有限で、その中で答えを出すしかない。
決戦前で時が止まるゲームではなく、珍しい概念の元での物語だったといえる。
(性能上は決戦前で時は止まるんだけども、ストーリ上は止まってない)
スレイが周りの意見に流されているというのは、序盤に見受けられた。
でもそれは、イズチから出てきて世間を知らないスレイは、そうすることしかできなかったからだ。
ある意味で、社会に出て、流されるままの私たちにも似ている。
そして、他人の考えを受け入れていくことは、汚くいえば洗脳されているということ。
でもスレイは他人の考えを、他人じゃなくて、自分ものにしている。その違いは、他人の考えに責任を持つこと、つまりは、他人の考えを信じることを、自分で決めたということ。それから他人の考えを自分でも考えてみること。
洗脳は、そこに責任や自分の考えとの照らし合わせがない。
この物語は、他人の考えを受け入れるという尊い話しだと私は感じました。
主人公は穏やかで、どこか抜けてて、頼りないけど、だからこそ、最後がかっこいい。
憑魔にも触れておくと、憑魔化するのは、憎い気持ちが100%になると、そうなってしまうのではないかと。
ジイジを取り込まれたスレイ、人を殺すロゼ、復讐をするデゼル、憎い気持ちを抱えていても、それだけの感情でなければ、憑魔化しないのではないかと思いました。
それから、アリーシャに霊能力がなく、あっさり見捨てるスレイについて。
この物語は非常に現実に則していると思います。
力のないものがオリンピック選手にはなれないように、霊能力がなければアリーシャもメインの従士にはなれない。
だからといって、それがダメなわけではなくて、アリーシャには他に役割があるのです。
スレイが和平の会合に顔を出さないように、自身の役割、存在(与える影響)、を自覚して線引きをすることは、とても思慮のあることだと思いました。
たぶん、スレイは男性に好かれないキャラ。(ロゼは女性に好かれないキャラ)スタンやユーリのような存在の方がかっこいいです。
全体を通して、物語の中ではハッキリと語られないからこそ(2週目が楽しい)、こうした賛否の意見が飛び交うわけで、まさにゼスティリアの世界を体現したような、良い、悪い、いろんな考え方があっていい、という制作陣が目指したような形だと思ってしまうのは、考え過ぎですかね(笑)
制作陣の思惑がどうであれ、酷評のおかげで、ゼスティリアの中古は180円くらいでした。
新作から2番目なのにやっすいです!笑
自宅で過ごす時間が多い今、手に取ってみてはいかがでしょうか☆
2019年1月5日投稿
2020年8月6日更新